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マレ地区地図


 マレ地区(ル・マレ、フランス語:Le Marais, Paris)は、フランスの首都パリ中心部にある歴史的な地区です。セーヌ川右岸のリヴ・ドロワ(Rive Droite)沿いの 3区4区の一部に広がっています。かつて貴族の街であったこの地区には、歴史的、建築的に重要な建物が数多くあります。18世紀後半には流行地区としての地位を失い、この地域に住むのは下級貴族のみとなりました。フランス革命後、この地区は荒廃し、貴族たちから放棄されました。長い衰退期を経て、この地区は近年変貌を遂げ、現在では再びパリで最もファッショナブルなエリアの一つとなり、アートギャラリー、高級レストラン、美術館で知られています。
 
 1240年、テンプル騎士団はパリの城壁のすぐ外側、マレ地区の北部に要塞化された教会を建設しました。その後、この教会(「寺院地区(Temple Quarter)」とも呼ばれました)の近くには多くの宗教施設が建てられました。これらには、ブラン・マントー修道院(Blancs-Manteaux)、サント・クロワ・ド・ラ・ブルトヌリ修道院(Sainte-Croix-de-la-Bretonnerie)、カルム・ビレット修道院(Carmes-Billettes)、およびサント・カトリーヌ・デュ・ヴァル・デ・ゼコリエール教会(Sainte-Catherine-du-Val-des-Écoliers)が含まれます。
 13世紀半ば、ナポリ王とシチリア王であり、フランス王ルイ9世の末弟であるアンジュー公シャルル1世(Charles I、1227年3月21日生~1285年1月7日没)が、現在のセヴィニエ通り7番地(7, Rue de Sévigné)の近くに邸宅を建てました。1361年、ヴァロワ朝フランス王国 第3代王シャルル5世(Charles V, 1338年1月21日生~1380年9月16日没、在位:1364年~1380年、別名:賢明王)はサン・ポル館(Hôtel Saint-Pol)として知られる邸宅を建設し、シャルル5世の治世中(および息子の治世中)はそこに王室が居住しました。
 その頃から 17世紀にかけて、特に 1605年にブルボン朝フランス王国の初代王アンリ 4世(Henry IV、1553年12月13日生~1610年5月14日没、在位:1589年8月2日~1610年5月14日)の統治下で王宮広場(ロワイヤル広場、現在のヴォージュ広場)が設計されてからは、マレ地区はフランス貴族の好む居住地区となりました。彼らがそこに建てた数多くの都市の邸宅(フランス語で「オテル・パルティキュリエ(Hôtels Particuliers)」)の中には、サンス邸(Hôtel de Sens)、シュリー邸(Hôtel de Sully)、ボーヴェ邸(Hôtel de Beauvais)、カルナヴァレ邸(Hôtel Carnavalet)、ゲネゴー邸(Hôtel de Guénégaud)、スービーズ邸(Hôtel de Soubise)などがありました。
 18世紀後半には、この地区は貴族の間ではもはや最もおしゃれな地区とはみなされなくなりましましたが、それでも貴族の地域としての評判は依然として残っていました。当時、そこに住んでいたのは、下級貴族とスービーズ公などの少数の高位貴族だけとなっていました。ヴォージュ広場は貴族たちが集まる場所であり続けました。この地区はフランス革命後に荒廃し、貴族によって完全に放棄されました。このマレ地区は 20世紀後半まで流行から取り残されさびれた地区として残されていました。
 
マレ地区地図(Map of Le Marais, Paris, Île-de-France, France)
マレ地区地図
地図サイズ:640ピクセル X 640ピクセル
 
マレ地区の交通機関と観光名所およびホテル  
パリ中心部におけるマレ地区の場所が判る地図
パリ マレ地区地図
地図サイズ:720ピクセル X 580ピクセル
 
マレ地区地図(Google Map)
 

 
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