台北市は、中華民国の直轄市あり中央政府の所在地で首都となっています。台北は台湾北部の台北盆地に位置し、周囲は台北県となっています。台湾で最も人口の多い都市で、台湾の政治・文化・経済の中心都市となっています。
台北の歴史
清朝以前
記録によれば、元来は平埔族と呼ばれる原住民(ケタガラン族=凱達格蘭人)の住む土地でしたが、明朝初期に漢民族の入植が始まりました。大航海時代の17世紀初めにスペイン人が台湾北部の海岸地帯を占領し、台北市郊外にある淡水にスペイン人が城を造り、ヨーロッパ人の拠点の一つになりました。清朝初期以前には、大規模な開発が行われず未開な土地であったため、清朝が「化外の地」として台湾島への渡航を制限していました。その後、渡航制限が形骸化し、漢民族の入植が活発化し、台湾の開発が進みました。1709年には、泉州人(福建人)「陳天章、陳逢春、ョ永和、陳憲伯など」により台北盆地の大規模な開墾が行われました。
清朝
19世紀頃の台北は、「一府二鹿三艋舺」と呼ばれる台湾三大都市の一つに数えられるまでに成長しました。ここでいう「府」とは清朝統治時代の中心地であった「台南」、「鹿」とは台湾中部の「鹿港」、「艋舺(バンカ)」とは現在の台北(現在の万華地区)のことです。19世紀中葉、淡水河流域の物産貿易(特に茶)が興り、艋舺(現在の万華地区)が貿易拠点として発展しました。当時の中心都市・台南と比べると都市としては後進地であった台北ですが、経済発展に伴い台湾経済の中心が北部へ遷り、清末には都市化が進行し、1875年には清朝による台北府の設置と台北城の建設が始まり、1884年に台北府城の方形の城壁と5つの城門が完成しました。1885年に台湾省が設置されると、巡撫(民政・軍政長官)として着任した「劉銘伝(りゅうめいでん)」が近代化事業として電灯、電報、鉄道(基隆〜台北〜新竹)、道路などのインフラを整備し、台湾巡撫衛門と布政使司衛門(政府機構)を台北城内(現在の中山堂)に設置しました。これらの施策により台北は台湾島における中国的近代都市として成長を遂げました。1894年には、劉銘伝の次に巡撫となった「邵友濂」により、台湾省の省都が橋孜(現在の台中)から台北へ移され、名実ともに台湾の中心都市となりました。
日本統治時代(1895年から1945年)
清による台湾支配は、日清戦争の戦後処理の「台湾割譲」により1895年に終了しました。日本統治時代初期には、清朝の巡撫衛門と布政使司衛門のあった場所に総督府がおかれ台湾全土を支配していました。1900年以降に台北府城の城壁や西門が撤去され、旧台北城内は官庁街として再開発され、1919年に台湾総督府新庁舎(現在の総統府)が完成しています。「市街改正」計画がたてられ、城壁跡には台北市内の基幹道路を建設し上下水道が整備されました。また、1901年の台風被害で清朝時代の建築物が大きな被害を被ったため、中国式建築が一掃され、新たにレンガ造り・石造りで三階建ての官庁・学校・銀行・会社などが林立するようになりました。これらによって、台北市街地は、日本的な近代都市へと変貌を遂げて行きました。その後も、日本の台湾開発政策により、台北市域の拡大や周辺農地の治水・開墾が進められ、日本本土から多数の移住者が台湾に渡りました。さらに経済的には、軽工業や農産物の生産に重点がおかれ、台湾内での経済中心地として発展しました。経済発展に伴い、市民生活も豊かになり西門町では数多くの映画館が立ち並び、また台北郊外の北投温泉は当時の日本有数の温泉地として整備され台湾の内外から多くの湯治客・観光客を集め、1923年には裕仁皇太子(後の昭和天皇)の台湾行啓の際には北投温泉に立ち寄っています。この様な日本における台湾の支配および開発も第二次世界大戦の敗戦により幕を閉じ、1945年10月25日には台北公会堂(現在の台北中山堂)で行われた光復調印式(中国戦区台湾省受降典礼)により正式に日本から中華民国へ台湾が引き渡されました。
中華民国時代(1945年から現在)
戦後は、台湾に渡った日本人が引き上げました。入れ替わる形で、中国国民党軍が駐留するようになると国民党の兵士は家族を伴い台湾に渡りった、更には国共内戦に敗れた中華民国政府も台湾にやってきました。1945年から1949年にかけて台湾に渡った中国人は軍民合わせて総勢200万人にもなりました。これにより台北の人口も一気に跳ね上がりました。
1960年代に入ると台湾中南部から多くの住民が流入するようになりました。同盟国であるアメリカの支援の下で道路・住宅・学校などの公共施設の建築が進められましたが、人口集中により交通渋滞や公害など都市問題が顕在化していきました。市街地は、旧市街の西側に広がり、1960年代末期には旧市街の東側も開発が進められ市街が広がりました。
1970年代から1980年代になると、台北市は高度経済発展の時代を迎えました。市街中心部は、東区へ遷り、西区は対照的に衰退していきました。国民党政府は開発独裁をしき、軍事・経済発展を優先したため、台湾経済は飛躍的に発展しましたが、民生関連の公共事業が後回しにされたため、人口が急増した台北では交通渋滞や公害が本格的に問題となったのもこの時期です。諸問題を解決するために、台北駅の地下化、地下鉄建設、排ガス規制などが計画されたが、実際に実行には移されませんでした。
1990年代以降に民主化が進むと、都市再生事業が実施に移され、台北駅および市街地を走る鉄道線路の地下化、高速道路、地下鉄、道路などの交通インフラの整備が進み、次第に交通渋滞は緩和されました。また信義区の開発が行われ市政府と市議会が信義へ移転しました。現在では、衰退しつつあった西区や西門町も再開発が進められています。
台北観光
台北市は、台湾の最重要都市です。台湾のほかの県や都市と較べると面積的には大きくありませんが、沢山の名所旧跡があります。旧跡と博物館の数では、台湾の首位に位置しています。外国人観光客を魅了してやまないのが台湾名物の「夜市」で、有名な夜市としては士林夜市、饒河街夜市、臨江街夜市、華西街夜市、寧夏路伝統夜市などがあり、東区新興商圏のPUB街も人気の場所となっています。台北101から眺める台北の夜景もお薦めです。また、自然豊な陽明山や北投温泉も知られています。
台北の主な見所
- 公共施設
- 公園
- 二二八和平公園
- 陽明山国家公園
- 士林官邸
- 圓山遺址公園
- 寺・廟・教会
- 龍山寺
- 善導寺
- 台北孔子廟
- 大龍峒保安宮
- 艋舺青山宮
- 行天宮
- 指南宮
- 台北天后宮
- 台湾省城隍廟
- 中山基督長老教会
- 済南基督長老教会(旧 日本基督教団台北幸町教会)
- 夜市
- 士林夜市
- 饒河街夜市
- 華西街夜市
- 広州街夜市
- 臨江街夜市(通化街夜市)
- 師大夜市
- 景美夜市
- 台大公館夜市
- 南昌路夜市
- 南機場夜市
- 寧夏路夜市
- 延三夜市(台北橋夜市)
- 雙城街夜市
- 旧跡
- 台北城
- 北門(承恩門)
- 西門(寶成門)
- 東門(景福門)
- 小南門(重熙門)
- 圓山遺址
- 大龍峒保安宮
- 台北公会堂
- 艋舺龍山寺
- 台湾布政使司衛門
- 芝山岩遺址
- 台湾菸酒股份有限公司(旧 台湾専売局)
- 国立台湾博物館(旧 台湾総督府博物館)
- 総統府(旧 台湾総督府)
- 監察院(旧 台北州庁舎)
- 行政院
- 台北賓館(旧 台湾総督官邸)
- 司法大廈(旧 台北地方法院・高等法院):「
- 有名なホテル
- その他
- 台北101、
新光人寿保険摩天大楼、
紅樓劇場
- 大稻埕碼頭
- 中山楼
- 北投温泉
- 陽明山
- 竹子湖
- 台北車站地下商場
- 台北新世界購物中心
- 西門地下街
- 東区地下街
- 龍山寺地下街
- 迪化街
- 新光三越デパート
- 太平洋SOGO百貨
- ニューヨークニューヨーク・ショッピングセンター(紐約紐約購物中心)
台北の気候
台北市は北緯25度付近に位置しています。中国大陸と太平洋の間に位置する台湾島の地理的理由により、冬場は乾燥したシベリア高気圧に覆われ、夏場は湿気を含んだ太平洋高気圧に覆われる亜熱帯性モンスーン気候に分類されます。季節は日本同様に四季が明瞭であり、通常は3月から5月が春、6月から8月が夏、9月から11月が秋、11月から翌年の2月までが冬となります。近年では地球温暖化の影響もあり例年にない暖かな冬が度々あります。なお春の訪れが遅い年もあり、2005年などは比較的寒く台北市内では摂氏5.6度、台北市北部の淡水では摂氏3.9度の最低気温を記録しました。冬場の雨は他の季節と較べると少なくなりますが、中国大陸から吹く湿った季節風により多少の雨が降り水不足になることはありません。
季節風の影響の以外に、台北の気候を左右する要因が他にもあります。それは台北盆地です。市街地が盆地の中に位置するため盆地特有の気候を示します。夏季には、盆地の周囲にある山のため熱気がこもりやすく、周囲の年に対して気温が1度から2度程度高くなります。冬季には、山に湿った空気がぶつかるため比較的降水量が多くなります。毎年5月前後に梅雨に入り、降水量が増加します。その後台風シーズンとなり、少なくとも9月までは雨の多い季節となります。夏季になると、上昇気流が盛んになり、午後には雷を伴ったにわか雨(スコール)となる日が多くあります。
台北の気温と降水量の詳しいデータについては「台北の気温」を御覧下さい。
交通機関
台北市は、台湾最大都市であり、周辺には板橋、三重、新荘、新店、蘆洲、汐止などの大きな衛星都市が位置するため、膨大な交通量があり、一般道や高速道路が整備されていますが平日・休日を問わず道路はかなり渋滞しています。市内公共交通機関も整備も進んでおり、路線バスは421路線(1日当り161万人が利用)、地下鉄は総延長距離(74.4キロメートル)となっています。公共交通機関では、非接触式ICカード(悠遊卡)が導入されています。
台北市外へは、国道や高速道路が整備され、多くの長距離バスが運行されています。台北駅を起点とした台湾鉄路管理局の鉄道網は台湾島を一周する形で整備されています。また2007年には、日本とヨーロッパの高速鉄道技術を導入した台湾高速鉄道(台湾新幹線、台北 - 高雄)が開業しています。
空港は、国内線のハブ空港「台北松山空港」が市内にあります。国際線空港は、台北市内にはなく、車で約1時間の場所にある「台湾桃園国際空港」を利用することになります。
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