カマグエイ(スペイン語/英語:Camagüey、旧称:サンタ・マリア・デル・プエルト・プリンシペ(Santa María del Puerto del Príncipe))は、キューバ中部内陸にある都市および自治体であり、人口 33万人以上を擁する同国第3の都市です。カマグエイ州の州都でもあります。カマグエイの人口は 333,251人(2022年現在、2011年時点では人口 321,992人)、キューバでは首都ハバナとサンティアーゴ・デ・クーバに次いで 3番目に人口の多い街です。面積 1,106平方キロメートル(427平方マイル)、標高 95メートル(312フィート)、北緯 21度23分02秒 西経 77度54分27秒です。
この都市は 1514年、スペイン人入植者によって北岸に「サンタ・マリア・デル・プエルト・デル・プリンシペ」として建設されましましたが、創建当初海賊の襲撃が度々あり、1528年に内陸部へ移転し、カマグエイという名のタイノ族の集落があった場所へと移されました。ここは、スペイン人がキューバに建設した当初の 7つの入植地(ビジャ)の一つです。17世紀にヘンリー・モーガンによって焼き払われた後、攻撃者が市内で動きにくくなるよう、迷路のような構造に再設計されました。キューバ島内陸の交通の要所として栄え、19世紀までスペイン領西インド諸島の経済中心地となっていました。
カマグエイ市のシンボルは、雨水を溜めて新鮮な状態に保つために使われる「ティナホン(tinajón)」と呼ばれる素焼きの壺です。また、カマグエイは、対スペイン「十月戦争」における重要人物であるイグナシオ・アグラモンテ(1841年生まれ)の生誕地でもあります。市街中心部に建てられたアグラモンテの記念碑は、イタリアの彫刻家サルヴァトーレ・ブエミによるもので、1912年に彼の妻によって除幕されました。この記念碑は、騎馬像、アグラモンテの生涯の一場面を描いたブロンズ製レリーフ、そして祖国を象徴する女性像で構成されています。
1530年代に建設されたカマグエイ旧市街には17世紀に建てられた教会やスペイン植民地時代に建てられた多くの建築物がよく残されています。2008年7月、その不規則で迷路のような都市計画、初期のスペインによる植民地化と農業において果たした重要な役割、そして多様な影響を受けた豊かな建築様式が評価され、「カマグエイ歴史地区(Historic Centre of Camagüey)」の名称でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
カマグエイ イメージ(植民地時代のヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・メルセド教会(Colonial Church of Nuestra Señora de la Merced))
カマグエイ観光
カマグエイ市のシンボルは「ティナホン(tinajón)」と呼ばれる大きな素焼きの壺で、これは雨水を溜めて新鮮な状態で保存するために使われてきました。街の至る所にこの壺が見られ、手のひらに乗るような小さなものから、中に大人が二人立って入れるほど巨大なものまであり、モニュメントとして、あるいは実用品として利用されています。「ティナホンの水を飲むとカマグエイに留まることになる(Quien tome agua del tinajón, en Camagüey se queda)」という地元の言い伝えがあり、これはつまり、カマグエイの女性と出会えば恋に落ち、この地を離れられなくなるという意味を含んでいます。主な高等教育機関には、カマグエイ大学やカマグエイ教育大学(Instituto Pedagógico de Camagüey)があります。
この大きな素焼きの壺「ティナホン」は、もともとワインや油、穀物を運搬するための貯蔵容器でしたが、近世にスペイン人が持ち込み、雨どいの下に設置して雨水を溜めることで、この街の水不足を解消する手段として活用されるようになりました。片端がわずかにすぼまった形状をしており、地面に半分埋めて設置することで、中の水を冷たく新鮮に保つことができました。やがて町内で製造されるようになり、あらゆる家の内外に置かれるようになりました。その壺の様式や数によって、その家の裕福さが推し量られるほどです。これは歴史家や考古学者によっても裏付けられています。当初、スペインではこれらの壺は油(特にオリーブオイル)の保存に使われていましましたが、スペイン人がその型を初期のカマグエイに持ち込むと、すぐに生活に根付いた伝統的な道具となり、住民の間で独自の装飾が施されるなどして、このキューバの街のシンボルとして定着しました。
カマグエイは、まるで迷路のような通りが特徴的な植民地時代の都市であり、ユネスコ世界遺産にも登録されています。
この街には植民地時代の名残である30以上のカトリック教会があり、その中には以下のようなものがあります。
「ヌエストラ・セニョーラ・デル・カルメン教会(Church of Nuestra Señora del Carmen)」:2つの塔を持つバロック様式の教会で、1825年に完成しました。
カマグエイ大聖堂:1530年に礼拝堂として始まり、1864年に完成しました。
「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ソレダッド教会(Church of Nuestra Señora de la Soledad)」:この街を象徴する教会であり、18世紀に建設されました。歴史的な写真を見ると塗装が施されておらず、ファサードや塔は素朴な外観をしていましましたが、現在は黄色く塗装されています。内部にはバロック様式の装飾的なフレスコ画や、1841年に英雄イグナシオ・アグラモンテが洗礼を受けた聖水盤があります。
「サン・フアン・デ・ディオス教会・修道院・病院(Church and Convent-Hospital San Juan de Dios)」:サン・フアン・デ・ディオス教会と修道院に関する最初の記録は、1687年および1692年の埋葬関連文書に見られ、そこではそれぞれ「サン・フアン・デ・ディオス礼拝堂」や「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン礼拝堂」について言及されています。1731年5月、ハバナのサン・フアン・デ・ディオス病院の院長であったホセ・ディアス・ポンテが、プエルト・デル・プリンシペ市(現在のカマグエイ)における「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン修道院病院」の創設者であることを認め、教会の名称が証明されました。現在の聖堂の建設は 1736年に始まり、1755年に完成しました。この時期に、司教によって「聖ヨハネ・デ・ディオス病院修道会(Brothers Hospitallers of Saint John of God)」が正式に認可されました。主祭壇には 3人の人物の姿で表現された「三位一体」が祀られており、これはキューバで唯一のものです(同様の図像はペルーのリマにある植民地時代の教会でも見られます)。
「サンタ・アナ教会(Church of Santa Ana)」:1617年に先住民のカタリナ・カルモナが行った寄進証書の中に、聖アンナ(サンタ・アナ)に捧げられた礼拝堂の存在が記されており、この教会について言及している数多くの文書の一つとなっています。
カマグエイの観光名所としては、孤独の聖母マリア教会(Nuestra Señora de la Soledad Church)、慈悲の聖母教会(Nuestra Senora de la Caridad)、イグナシオ・アグラモン公園(Parque Ignacio Agramonte、イグナシオ・アグラモンテ(1841年12月23日生~1873年5月11日没)はカマグエイ出身の第一次キューバ独立戦争で活躍したキューバ人革命家)、州立イグナシオ・アグラモンテ博物館(Museo Provincial Ignacio Agramonte)、サン・ファン・デ・ディオス博物館(San Juan de Dios Museum in Camagüey)、カルメン広場(Plaza del Carmen)、ガロ広場(Plaza Del Gallo)、カマグエイ植物園(Jardín Botánico de Camaguey)などがあります。