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モロッコ地図
ラバト地図
ラバト(英語・フランス語:Rabat、ベルベル語:ⵕⵕⴱⴰⵟ(Ṛṛbaṭ)、アラビア語:الرباط(al-ribāṭ))は、モロッコ北部の北大西洋沿岸にあるモロッコ王国の首都でありラバト=サレ=ケニトラ地方の首府となっている都市です。ラバトの人口は 577,827人(2014年現在)、ラバト都市圏人口 2,120,192人となっており、モロッコの都市としては6番目に大きな街です。面積 117平方キロメートル、標高 0~160メートル、北緯34度01分31秒 西経6度50分10秒です。大西洋に注ぐブー・レグレグ川の河口に位置し、川を挟んで対岸(北東側)にはサレの街があり、双子都市となっています。
ラバトの歴史は古く、ブー・レグレグ川の両岸には「シェラ(Chellah)」と名付けられているネクロポリス(古代都市遺跡、墳墓遺跡)が残されており、この時代から人々が住み着いていました。紀元40年には古代ローマ帝国の植民都市となり、ベルベル人の勢力が拡大によりモロッコからローマ帝国が撤退する250年まではローマ都市が継続されていました。10世紀になるとベルベル人のゼナータ族がブー・レグレグ川の東岸にサレの街を造り、11世紀には西岸に要塞を造りその要塞は「リバート」と呼ばれていました。1146年にムワッヒド朝(1130年~1269年)の始祖アミール・アブドゥルムウミンが11世紀に造られたリバートをスペインへの攻撃拠点とするため大規模な城塞に改築し、1170年には「リバート・エル・ファトフ(勝利の要塞)」と名づけられました。ムワッヒド朝の第3代君主ヤアクーブ・マンスール(ムワッヒド朝が最大版図となった時代の王)は都をラバトに移し、城壁やウダーヤのカスバを建設しました。ヤアクーブ・マンスールは世界最大級のモスクの建設などにも着手しましたが、マンスールの死によって完成せず、また世界最高のミナレットも完成しませんでしたがハサン塔として現存しています。その後ラバトは低迷期を迎え衰退しました。17世紀に入ると、スペインでのレコンキスタ運動によりアンダルシアを追放されたイスラム教徒たちが難民として流入し、ラバト復興の土台となりました。1627年にラバトとサレの街はコルセア(海賊)によって運営される「ブー・レグレグ共和国」となり商業貿易の中心地として栄え、1818年まで存続していました。1912年になるとフランスがモロッコに侵攻しフランス保護領とし、首都をフェズからラバトに移しました。1956年のモロッコ独立後も首都として継続されています。「近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト」の名称でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
ラバトの観光名所としては、ラバト旧市街(メディナ)、スイカ通り(メディナ最大の繁華街)、グランド・モスク、スーク・エッセバート(装飾品のスーク)、バーゲン・スーク(食器・家具・日用雑貨のスーク)、ウダイヤのカスバ、ウダイヤ門、ウダイヤ博物館、ウダイヤ庭園、ラバト新市街(1913年にフランス人都市計画家アンリ・プロストが設計)、ムハンマド5世の廟、ハッサンの塔、ルワー門(風の門)、考古学博物館(古代美術館)、王宮、シェラ(城壁に囲まれた古代ローマ遺跡)、サンピエトロ大聖堂、モロッコテレコムタワーなどがあります。
ラバトのホテルは、レント イン スイーツ ホテル、ホテル ル ムゼー、ソフィテル ラバト ジャルダン デ ローズ、ホテル ラ トール ハッサン パレス、ヴィラ デ アンバサダーズ、NJ ホテル ラバト、ダウリーズ リゾート & スパ、エウポリヤド ホテル ラバト、ホテル ラバト、ヴィラ アラリア、リヴェ ホテル、ル ディワン ラバト M ギャラリー コレクション、リヤド ダー ソウファ、リヤド マルハバ、リヤド エル マーティ、ホテル ファラフ ラバト、ル ピエトリ アーバン ホテル、ホテル サウンドウス、ホテル アトランティック アグダル、リヤド ズヨ ホテル ラバト、ダー アルス ウナ、ダー エル ケビラ サラムなどがあります。
モロッコにおけるラバトの位置が判る地図
地図サイズ:480ピクセル X 360ピクセル
このラバトへの交通アクセスは、飛行機ではラバト=サレ空港、鉄道ではラバト・ヴィル駅(ラバトの中央駅)とラバト・アグダル駅があります。
ラバトからモハメディアを経由してモロッコの最大都市カサブランカまで車やバスで 1時間5分(南西へ道なりで 88km)、モハメディアまで車やバスで 50分(南西へ道なりで 64km)です。ラバトからサレまで車やバスで 17分(北東へ道なりで 13km)です。ラバトからメクネスまで車やバスで 1時間45分(東へ道なりで 155km)、フェズまで車やバスで 2時間15分(東へ道なりで 210km)です。ラバトからタンジェまで車やバスで 2時間50分(北北東へ道なりで 255km)です。
ラバト地図(Map of Rabat, Rabat-Salé-Kénitra, Morocco)
ラバトの交通機関と観光名所
- ラバトの交通機関
- ラバト・ヴィル駅 / Rabat Ville Railway Station:ラバトの中央駅
- ラバト・アグダル駅 / Rabat Agdal Railway Station
- ラバト・サレ駅 / Gare de Salé Ville (Rabat Sale Railway Station):サレの駅
- 長距離バスターミナル(カムラ・バスステーション) / Gare Routière Kamra
- ラバト=サレ空港 / Rabat-Salé Airport:ラバト市街中心部から北東へ9km、地図外右上
- ラバトの観光名所
- ラバト旧市街(メディナ) / Medina:12世紀に築かれたムワッヒド朝の塁壁と17世紀に建造されたアンダルシアの塁壁に囲まれた地区
- スイカ通り / Rue Suika:メディナ最大の繁華街
- グランド・モスク / Grande Mosquée
- スーク・エッセバート / Souk es Sebat:装飾品のスーク
- バーゲン・スーク / Bargain Souk:食器・家具・日用雑貨のスーク
- ウダイヤのカスバ / Kasba des Oudaias:ムワッヒド朝時代に造られた城壁を利用し、17世紀にムーレイ・ラシッドによって造られた城塞
- ウダイヤ門 / Port des Oudaias:1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールによって建築された門
- ウダイヤ博物館 / Musée de Oudaias:17世紀末のアラウィー朝時代のムーレイ・イスマイルの居城だった建物
- ウダイヤ庭園 / Jardin Oudaias:スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿に似た造りで、アンダルシア庭園の傑作の一つとされる庭園
- ラバト新市街 / Nouvelle Ville:1913年にフランス人都市計画家アンリ・プロストが設計した市街地でラバトの行政地区
- 観光案内所 / Délégation du Tourisme:所在地 22 Ave. d'Alger(アルジェ通り) Rabat
- ラバト市観光局 CTR:所在地 c/o Rabat CRI. 23 Avenue de la Victoire, BP 8248 - Nations Unies
- ムハンマド5世の廟 / Mausolée Mohammed V:フランスからモロッコ独立を勝ち取った元国王ムハンマド5世の霊廟、1973年完成、廟内中央の白い石棺がムハンマド5世のもので両側には前国王ハッサン2世とムハンマド5世の弟のムーレイ・アブドゥラー王子の棺があります。
- ハッサンの塔 / Tour Hassan:未完成のミナレットです。1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールが世界最大のモスク建設に着手し、1199年に建設途中で亡くなったためモスクと共にミナレットの工事が中断されました。完成すると高さ88メートルの予定でしたが、44メートルで中断されました。ミナレットとしては、スペインのセビリアにあるセビリア大聖堂の「ヒラルダの塔(Giralda、高さ 104.5m)」とマラケシュにある「クトゥビア(Koutoubia、高さ 44m)」と並ぶ世界最大級のものです。
- ルワー門(風の門) / Bab el Rouah:ムワヒッド朝に築かれた塁壁の中で最も当時の状態で残されている門
- 考古学博物館(古代美術館) / Musée Archéologique:モロッコの旧石器時代・ローマ帝国時代・イスラム時代の出土品を展示する博物館
- 王宮 / Palais Royal:モロッコ王室の現在の国王ムハンマド6世と家族が住む宮殿、金曜日にはアルファ・モスク(Mosquée al Fas)へ祈祷向かう国王のパレードが行われます。
- シェラ / Nécropole de Chellah:城壁に囲まれた古代ローマ時代の遺跡、ローマ時代には「サラ(Sala)」の街として栄え、14世紀のマリーン朝時代に共同墓地として使用された遺跡です。
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