旅行のとも、ZenTech
旅行のとも、ZenTech > 海外旅行 地図 > 東南アジア地図 > インドネシア > ニューギニア島

ジャヤプラ地図


 ジャヤプラ(インドネシア語/英語:Jayapura、旧称:ホランディア(Hollandia、1910年~1962年)、コタバル(Kota Baru、1962年~1963年)、スカルノプラ(Soekarnopura 、1963年~1968年))は、ニューギニア島にあるインドネシア領パプア州の州都であり、同州最大の都市です。ニューギニア島の北海岸に位置し、面積は 835.48平方キロメートル(322.58平方マイル)、海抜 287メートル(942フィート)、南緯 2度31分59秒 東経 140度43分01秒です。北は太平洋とヨス・スダルソ湾、東はパプアニューギニア、南はキーロム県、西はジャヤプラ県に接しています。
 2024年半ばの公式推計によると、ジャヤプラの人口は 410,852人(男性218,356人、女性192,416人)で、パプア州かつインドネシア領ニューギニアの最大都市、パプアニューギニアの首都であり最大の都市であるポートモレスビーに次いで、ニューギニア島全体で 2番目に人口の多い都市です。2010年から 2020年の 10年間では、インドネシアで最も急速に成長した都市でもあり、人口は 2010年から 2020年の間に 55.23%増加しました。
 ジャヤプラは、マカッサルデンパサールマナドに次いで、インドネシア東部で 4番目に経済規模の大きい都市であり、2016年のGDPは推定 19兆4,800億ルピアです。ジャヤプラの人間開発指数(HDI)は0.801と非常に高い水準です。
 
ジャヤプラ イメージ(ユーテファ橋(Youtefa Bridge))
ジャヤプラ
 

ジャヤプラ 歴史

 オランダ領東インド植民地政府に編入される以前、現在のジャヤプラの地はヌンバイとして知られていました。オランダ人が到来する以前、ヌンバイでは活発な交易が行われており、メトゥイ・デビ島と、サム・ラトゥランギ通り沿いにかつてゲレジャ・ペンガラパン(「神の恩寵の教会」)があった地域を中心に、1897年から 1905年にかけて最も活発です。交易は香辛料、キャッサバ、塩漬けの魚、極楽鳥との物々交換で行われていました。ヌンバイ、あるいは一般的にはタビと呼ばれる社会は、オンドアフィ(部族長)によって率いられていました。1849年までに、ヌンバイ地域はティドレ・スルタン国の属国となっていました。
 1909年9月28日、F.J.P.大佐率いるオランダ海軍の分遣隊がザクセはヌンバイ川河口近くのフンボルト湾に上陸しました。彼らの任務はニューギニア北部の体系的な探検と、ニューギニアにおけるオランダとドイツの勢力圏の自然境界線の探索です。川沿いの彼らの野営地はクローフカンプと呼ばれ、この名前は現在もジャヤプラの旧地区名として使われています。野営地建設のために 40本のココナッツの木が伐採されました。これらの木は所有者から 1本あたり1ライクスダールダーで買い取られました。
 1910年3月7日、オランダ国旗が掲げられ、この入植地はホランディアと名付けられました。湾の対岸には既にドイツ軍の野営地、ゲルマニア・フク(ドイツ軍の角)があったが、現在は無人となりインドネシア領となっています。ホランディアは西ニューギニア北東部にある同名の地区の首都です。ホランディアという名称は 1962年まで使用されていました。
 オランダ領ニューギニア北部は 1942年に日本軍に占領されました。連合軍は 1944年4月21日からホランディア近郊で行われたレックレス作戦とパーセキュート作戦(上陸作戦)によって日本軍を駆逐しました。この地域のホランディア海軍基地は、1945年3月のフィリピン征服までダグラス・マッカーサー将軍の司令部として機能しました。20以上の米軍基地が設置され、50万人もの米軍関係者がこの地域を通過しました。
 1960年1月中旬、29歳のオーストラリア人外洋ボート選手で、風変わりなブッシュマンでもあったマイケル・「ターザン」・フォメンコは、オランダ当局がオーストラリア当局と彼の処遇について協議する間、ホランディアに留め置かれました。フォメンコは 1959年12月、クイーンズランドからトーレス海峡を数ヶ月かけて漕ぎ出した丸木舟でオランダ領ニューギニアに到着しました。
 ジャヤプラは、1998年のパプアニューギニア地震後のアイタペ津波に見舞われました。
 

ジャヤプラ 観光

 ジャヤプラの観光名所としては、ガラエル市場、パタニ・ヤコバ(ビーチ、Pantai Yacoba)、パンタイ・ハマディー・ジャヤプラ(ビーチ、Pantai Hamadi Jayapura)、ベース - G ビーチ(Base-G Beach)、モール・ジャヤプラ(Mall Jayapura、ショッピング・モール)、ハルテカンプ橋(Holtekamp Bridge)などがあります。
 
 ジャヤプラのホテルは、ホームステイ ガルペラ パプア、ホテル ニュー シーズン & カフェ、スイス=ベルホテル ジャヤプラ, パプア、メルキュール ジャヤプラ、アストン ジャヤプラ ホテル & コンベンション センター、ホテル ハリソン コタラジャ=パプア、グランド アベプラ ホテル、ハリソン ジャヤプラ、フォックス ホテル ジャヤプラ、サヒード パプア、レッドドアーズ ニア マル アベプラ、ホテル スイスベル、ヤスミン ジャヤプラ、レッドドアーズ ニア セガ モール アベプラ、ヴォテル ギャラクシー ホテル アベプラ、レッドドアーズ ニア セガ モール アベプラ、レッドドアーズ ニア ペラブハン ジャヤプラ、ホテル ジャスミン ジャヤプラ、ヴィラ トサリ インダーなどがあります。
 
インドネシアにおけるジャヤプラの位置が判る地図
ジャヤプラ地図
地図サイズ:640ピクセル X 340ピクセル
 

ジャヤプラ 地理と気候

 ジャヤプラの地形は、谷から丘陵、高原、そして海抜 700メートル(2,300フィート)までの山々まで変化に富んでいます。ジャヤプラはヨス・スダルソ湾を見下ろす場所に位置しています。ジャヤプラの面積は約 83,548ヘクタール(206,450エーカー)で、5つの地区に分かれています。面積の約 30%が居住地で、残りは険しい地形、湿地、そして保護林で構成されています。
 市の東半分(52.4%)を占め、パプアニューギニアとの国境まで広がるムアラ・タミ地区は、人口がわずか4.6%と比較的少なく、タミ川(「ムアラ・タミ」は「タミ川の河口」を意味します)をはじめ、南のキーロム県を源流とし、北の太平洋に注ぐ他の河川の河口となっています。ジャヤプラ行政区は、ホルテカム(北西部に位置し、ジャヤプラ市街地に最も近い)、カンポン・モッソ(東部に位置し、パプアニューギニアとの国境に接する)、コヤ・バラット、コヤ・テンガ、コヤ・ティムール、スコウ・マボ、スコウ・サエ、スコウ・ヤンベの各行政村から構成され、コヤ・バラットとコヤ・ティムールは都市部のケラハン(村落)に、その他は農村部のデサ(村落)に分類されます。
 ジャヤプラは熱帯雨林気候(Af)に属し、年間を通して降水量が多いです。
 

ジャヤプラ 交通機関

 ジャヤプラには、市街地から西へ約 40キロメートル、センタニ湖近くに位置するジャヤプラ県センタニ町にあるセンタニ国際空港があります。
 幹線道路は、市街地から東へパプアニューギニアとの国境に近いスコウ村まで伸びており、国境を越えてバニモまで続いています。ジャヤプラは、トランスパプアハイウェイを経由して、サルミやワメナなどの他の町や都市と繋がっています。
 ジャヤプラのバスターミナルには、ターミナル・エントロップとターミナル・メスランがあります。市当局がピクム協同組合を通じて運営するトランス・ジャヤプラ・バス高速輸送システム(BRT)は、両ターミナルから 4つの路線が発着し、2019年から市内を運行しています。
 政府は現在、ジャヤプラからサルミまで約 400kmの鉄道建設を計画しています。将来的には、ジャヤプラとマノクワリ、ソロンを結ぶ路線への延伸も計画されています。このプロジェクトは 2030年までに完成予定です。
 
 ジャヤプラへの交通アクセスは、飛行機ではセンタニ空港(Sentani Airport)があります。
 インドネシアの首都ジャカルタからジャヤプラまで飛行機(直行便、2~3便/日)で 5時間15分、スラバヤから飛行機(直行便、1便/日)で 4時間20分、スラウェシ島マカッサルから飛行機(直行便、4便/日)で 3時間25分です。ジャヤプラから西パプア州ソロンまで飛行機(直行便、3~4便/日)で 1時間45分、マノクワリまで飛行機(直行便、1便/日)で 1時間25分、ビアク島まで飛行機(直行便、2~3便/日)で 1時間5分です。
 
ジャヤプラ地図(Map of Jayapura, Papua Province, New Guinea Island, Indonesia)
 
ジャヤプラの交通機関と観光名所
 

 
サイト内の関連コンテンツ
ジャヤプラのホテルジャヤプラ地図ジャヤプラ気温ジャヤプラの天気
ページ先頭(インドネシア:ジャヤプラ地図)へもどる
旅行のとも、ZenTech トップページへ移動する。  Copyright © 1997-2026 ZenTech. All Rights Reserved