ヴェネツィア広場(イタリア語:Piazza Venezia、英語:Venice Square)は、イタリアの首都ローマの中心地で、フォーリ・インペリアーリ通り(Via dei Fori Imperiali)やコルソ通り(Via del Corso)など、いくつかの大通りが交差しています。広場の名前は、ヴェネツィアの枢機卿ピエトロ・バルボ(Pietro Barbo、後の教皇パウロ2世(Pope Paul II))がイタリアのヴェネツィアの守護聖人であるサン・マルコ教会(San Marco Evangelista al Campidoglio, Rome)の横に建てたヴェネツィア宮殿(Palazzo Venezia)に由来しています。ヴェネツィア宮殿は、ローマにおけるヴェネツィア共和国の大使館として機能していました。
広場の片側には、イタリアの初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia, 1820年3月14日生~1878年1月9日没、サルデーニャ王国の最後の国王(在位:1849年~1861年)、イタリア王国の初代国王(在位:1861年~1878年))の記念碑的建築であるアルターレ・デッラ・パトリア(Altare della Patria、通称:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)、1911年完成)にあるイタリアの無名戦士の墓があります。
広場はカピトリーノの丘(現在のカンピドリオ広場)のふもと、フォロ・トライアーノ(トラヤヌスのフォルム)の北西側にあります。主要幹線道路であるフォーリ・インペリアーリ通りはここから始まり、フォロ・ロマーノを通り、コロッセオへと続いています。
ローマを訪れる観光客のほとんどは、フォロ・ロマーノ、カピトリーノの丘、ヴェネツィア宮殿、有名なパンテオンなど、ローマの最も有名な名所のいくつかから歩いてすぐのヴェネツィア広場を訪れます。
この現代と古代の象徴性、そして便利なオープンスペースを活用して、ヴェネツィア広場は、1920年代から 1940年代にかけてイタリアの独裁者ムッソリーニが支持者の群衆に向けて行った演説の場所となりました。