オデオン座=テアトル・ド・ロロップ(フランス語:Odéon-Théâtre de l'Europe、「ヨーロッパ音楽ホール」という意味、旧称:テアトル・ド・ロデオン(Théâtre de l'Odéon、「ミュージックホール」という意味))は、フランスにある6つの国立劇場の 1つです。首都パリ中心部の 6区のセーヌ川左岸、コルネイユ通り(Rue Corneille)2番地に位置(オデオン広場)し、リュクサンブール公園(Luxembourg Garden)の北側、フランス国会の上院(元老院、Sénat)が置かれているリュクサンブール宮殿(Luxembourg Palace)の北東隣にあります。なお、フランスの6つの国立劇場とは「コメディ・フランセーズ(Comédie-Française)」「オデオン座(Odéon-Théâtre de l'Europe)」「オペラ・コミック座(Théâtre national de l'Opéra-Comique)」「シャイヨ劇場(Théâtre national de Chaillot)」「コリーヌ劇場(Théâtre national de la Colline)」「ストラスブール劇場(Théâtre national de Strasbourg)」です。
最初の建物である「フォーブール・サンジェルマン・ホール(Salle du Faubourg Saint-Germain)」は、シャルル・ド・ワイイーとマリー・ジョセフ・ペイルによる新古典主義のデザインで、1779年から 1782年にかけてテアトル・フランセ劇団(コメディ・フランセーズ)のために建設されました。この場所は、かつてのコンデ公邸の庭園にありました。新しい劇場は、1782年4月9日にルイ16世の王妃マリー・アントワネットによって落成されました。2年後、ボーマルシェの歌劇「フィガロの結婚」がここで初演されました。1791年4月27日、革命の最中に会社は分裂しました。王室に同情的な役者たちはフォーブール・サンジェルマンの劇場に残りました。彼らは 1793年9月3日の夜に逮捕され投獄されましたが、1年後に帰還を許されました。1797年、劇場は建築家ジャン=フランソワ・ルクレールによって改築され、「オデオン(Odéon、「音楽堂」を意味する建物)」として知られるようになりましたが、1799年3月18日に火災で焼失しました。
1808年にジャン・シャルグラン(Jean Chalgrin、凱旋門の建築家)が設計した劇場の再建(2番目の建物)は正式には「テアトル・ド・ランペラトリス(Théâtre de l'Impératrice)」と名付けられましましたが、誰もがまだオデオンと呼んでいました。1818年に焼失しました。
3番目で現在の建物は、ピエール・トーマス・バラグアイ(Pierre Thomas Baraguay)によって設計され、1819年9月にオープンしました。1990年に、この劇場は「Théâtre de l'Europe(テアトル・ド・ロロップ)」という愛称を与えられました。ヨーロッパ劇場連合の加盟劇場です。
オデオン座地図(Map of Odéon-Théâtre de l'Europe, Paris, Île-de-France, France)