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海南省地図 
海口 地図 
中華人民共和国 の最南部にある海南省 の省都(省会)となっている都市(地級市)です。同省で最も人口の多い都市です。市の北部は海甸島(Haidian Island)にあり、南渡江の分流である海甸江(Haidian River)によって海口市中心部と隔てられています。海南島の北端に位置し、瓊州海峡を挟んで北には中国大陸から突き出たて雷州半島(広東省)があります。行政上、海口市は地級市であり、4つの市轄区(秀英区、竜華区、瓊山区、美蘭区)から構成され、面積は 2,280平方キロメートル(880平方マイル)です。市街地には 2,046,189人の住民がおり、全員が 4つの市街区に居住しています。地級市総人口は 3,001,600人(2020年国勢調査)、北緯 20度01分07秒 東経 110度20分56秒です。イギリス のポーツマス に似ています。海口はもともと、海南島の古代の行政首都である瓊山(Qiongshan)の港として機能していました。瓊山は海南島の南東約 5キロメートル(3.1マイル)内陸に位置していました。海口の歴史初期には広東省の一部でした。13世紀には要塞化され、明朝(1368~1644年)の時代に軍事拠点となりました。港は海南島の主要河川である南渡江の河口の西側に位置しています。1858年の天津条約により瓊山が対外貿易に開放されると、海口はかつての行政首都に匹敵するようになりました。かつては、イギリス領インド帝国の将校による広東語の発音に基づき、「ホイハウ(Hoihow)」として国際的に知られていました。1926年、海口は人口で瓊山を上回り、独立した行政都市と宣言されました。
北京 から海口まで飛行機で 3時間45分(直行便、11~20便/日)、上海市 から飛行機で 3時間(直行便、8~12便/日)、広州 から飛行機で 1時間25分(直行便、13~17便/日)です。広東省湛江市から海口まで車やバスとフェリーで 3時間20分(南へ道なりで 175km)です。海南島内では海口から万寧 を経由して三亜 まで車やバスで 3時間30分(南南西へ道なりで 290km)、東方まで車やバスで 2時間45分(南西へ道なりで 220km)です。
	海口の交通機関
	
	海口美蘭国際空港  / 海口美兰国際机场 / Haikou Meilan International Airport:海南島(海南省)の空の玄関口となっている空港です。海口市街中心部から南東へ約17キロメートル(地図外右下)秀英フェリーターミナル(秀英港):広東省の広州(所要 20時間)と海安(瓊州海峡を挟んで中国本土にある街、所要 1時間30分)および広西チワン族自治区の北海(所要 11時間)へのフェリーが就航しています。海口市秀英区海港路 
	新港フェリーターミナル / 新港客运港:海安への高速艇が就航、海口市龍華区濱海大道1号 
	海口駅(海口火車站) / 海口站 / Haikou Railway Station:鉄道は中国本土と鉄道連絡船で結ばれているため、広州や長沙など中国大陸行きの列車が運行されています。また海南島内は島内を一周する鉄道が敷設されており、三亜までの列車が運行されています。海口市街中心部から西へ約18キロメートル(地図外左)、海口市秀英区濱海大道 
	海口西バスターミナル / 海口汽车西站:広州、深セン、東莞へのバスが発着、海口市秀英区海秀西路156号 
	海口南バスターミナル / 海口汽车南站:三亜、万寧、文昌などへのバスが発着、海口市龍華区南海大道32号 
	 
 
	海口の観光名所
	
	五公祠:唐代から宋代(7世紀から13世紀)に政争に敗れて海南島へ流刑となった5人の高官を祀った祠です。西暦1097年(北宋の紹聖4年)に建てられた金粟庵を中心として清代までに建てられたいくつもの建築物があります。 
	海瑞墓:海南島出身の明代中期の政治家「海瑞(1514年~1587年)」の陵墓 
	秀英砲台 / 秀英炮台 
	海口崖州古城 
	李碩勲烈士紀念亭 / 李硕勋烈士纪念亭 
	海口人民公園 / 海口人民公园 
	万緑園 / 万绿园 
	假日海灘 / 假日海滩:ビーチ・リゾート 
	 
 
 
 
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