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イースト・ロンドン 地図
イースト・ロンドン(英語:East London、コサ語:eMonti、アフリカーンス語:Oos-Londen)は、南アフリカ共和国 の中南部にある東ケープ州 バッファローシティー都市圏(イースト・ロンドン、ビショ、キングウィリアムズタウンが合併し発足した都市圏)の地区であり、バッファローシティー都市圏の首府です。インド洋沿岸に位置し、大部分はバッファロー川とナフーン川の間に位置し、南アフリカ共和国唯一の河川港を有しています。2011年時点で、イースト・ロンドンの人口は 26万7千人を超え、周辺都市圏には 75万5千人を超えています。南アフリカ共和国で 15番目に人口の多い都市です。面積 168.86平方キロメートル(65.20平方マイル)、都市圏面積 2,536平方キロメートル(979平方マイル)、南緯 33度01分03秒 東経 27度54分17秒です。
1820年の入植者の一人、ジョン・ベイリーはバッファロー川の河口を調査し、1836年にこの町を設立しました。シグナル・ヒルにはこの出来事を記念する記念碑があります。この都市は南アフリカ共和国唯一の河川港を中心に形成され、当初は「ポート・レックス(Port Rex)」として知られていました。後にイギリス の首都ロンドン にちなんでロンドンと改名され、イースト・ロンドンと呼ばれるようになりました。西岸のこの入植地はイースト・ロンドンの町の中核となり、1914年に市に昇格しました。
19世紀初頭から中期にかけて、イギリス人入植者と地元のコサ族住民との間で国境紛争が繰り広げられましましたが、イースト・ロンドンは約 50キロメートル(31マイル)離れた近くのキング・ウィリアムズ・タウンにある軍司令部への補給港として機能しました。1847年、イギリスの要塞、フォート・グラモーガンが西岸に建設され、同年ケープ植民地に併合されました。この要塞は、後にブリティッシュ・カフラリアとして知られるようになった国境地域に築かれた、フォート・マレー、フォート・ホワイト、フォート・コックス、フォート・ヘア、フォート・ジャクソン、フォート・ボーフォートといったイギリスが築いた一連の要塞の一つです。
その後、港湾の発展に伴い、ドイツ人入植者を含む永住者が定住するようになりました。その多くは独身でした。これらの入植者は、スタッテルハイムやベルリンなど、イースト・ロンドン近郊のいくつかの町にドイツ語の名前を付けました。今日でも、ゲーリング、ザルツヴェーデル、ペインケといったドイツ語の姓はイースト・ロンドンでよく見られますが、入植者の子孫は急速に英語化しました。
バッファロー川の河口に位置し、インド洋に面した現在の港は、1870年に操業を開始しました。1872年、初代首相ジョン・モルテノの指導の下、ケープ植民地はイギリスからある程度の独立を達成しました。新政府は 1873年にイースト・ロンドン、イースト・ロンドン・イースト、パンミューアという隣接する3つの集落を合併し、現在の自治体の中核を形成しました。1876年には、川の東岸からこの地域の鉄道敷設に着手しました。同時に、イースト・ロンドン港の建設も開始しました。この新たなインフラ整備により、この地域は急速に発展し、今日の活気ある都市イースト・ロンドンへと発展しました。
バッファロー川に架かる珍しい2層橋は 1935年に完成し、現在も南アフリカ共和国で唯一のこの種の橋です。現代の観光名所としては、ゲイトリー・ハウス、市庁舎、ケープ・レイルウェイズ、ナフーン博物館、そして絶滅したと考えられていた先史時代の魚であるシーラカンスを収蔵するイースト・ロンドン博物館(1938年にイースト・ロンドン近郊のチャルムナ川河口で漁師によって生きたシーラカンスが発見された)や、数多くの記念像などが挙げられます。
1948年、南アフリカ共和国で国民党が政権を握り、アパルトヘイト政策の実施を開始しました。アパルトヘイトは南アフリカ共和国における人種の完全な分離を理念としており、イースト・ロンドンも例外ではありませんでした。1950年には、集団居住地域法が制定され、すべての都市部で完全な人種隔離が義務付けられました。1951年には、この法律を施行するために設立された土地保有諮問委員会が、イースト・ロンドンにおける人種に基づく空間の再配分に関する初期調査を実施しました。アパルトヘイト以前から、イースト・ロンドンでは長らく居住地の分離が行われていました。1941年、イースト・ロンドン市はイースト・バンクのタウンシップから新設のダンカン・ビレッジ・タウンシップに住民を移住させました。
1951年、イースト・ロンドンにおける人種間の財産交換は全面的に禁止されました。1955年、政府官報布告第21号により、アマリンダ地区は白人グループ地域に指定されました。これは、黒人アフリカ系住民の居住のために地域を拡張するという市の計画が放棄されたことを意味しました。1953年、イースト・バンクの住民は新設のムダンツァネ・タウンシップに強制的に移住させられました。1966年2月、南アフリカ共和国政府はムダンツァネを独立したホームランド・タウンシップと定義しました。1956年、ヘンドリック・フェルヴォールド首相は、イースト・ロンドン市に対し、既存のダンカン・ビレッジ・タウンシップの拡張を禁じ、ムダンツァネの建設を承認しました。
1961年に策定されたこれらの計画では、市内の特定の地域をアジア系およびカラード居住地として割り当てることが規定されており、ノースエンド地区と、当時宣言されたバッファローフラッツ地区が組み込まれていました。この計画は市内で大きな反発を招き、ブラックサッシュ、労働組合、様々な黒人コミュニティ団体を含む多くの団体から請願書や苦情の手紙が提出されました。1967年、イーストロンドン自治体は、パークサイド、パークリッジ、バッファローフラッツ地区を含む広大な地域をカラード居住地として指定し、市の大部分を白人居住地域と宣言しました。ダンカンビレッジの一部は廃止され、アフリカ系住民は立ち退かされました。1973年には、そこに新たなカラードおよびアジア系居住地が建設され、宣言されました。同年、新たに建設されたブレイリン地区はインディアン居住地域、バッファローフラッツ拡張地区とペファービル地区はカラード居住地域と宣言されました。建設・拡張有色人種地域とダンカン・ビレッジの分離は 1983年に停止されました。
1994年のアパルトヘイト終結に伴い、イースト・ロンドンは東ケープ州の一部となりました。2000年には、キング・ウィリアムズ・タウン、ビショ、ムダンツァネを含むバッファロー・シティ都市圏自治体の一部となり、メトロの所在地となりました。
イースト・ロンドン イメージ(オックスフォード通りにあるイースト・ロンドン市庁舎)
イースト・ロンドンの観光名所としては、バッファローシティー政府庁舎(旧イースト・ロンドン市庁舎、East London City Hall)、イースト・ロンドン博物館(East London Museum)、イースト・ロンドン動物園(East London Zoo)、オリエント・シアター(南アフリカ共和国でのボクシング主要会場の一つ)、イースト・ロンドン・エスプラネード(East London Esplanade、海沿いの遊歩道)、ヘミングウェイズ・カジノ(Hemingways Casino)、オリエント・ビーチ(Orient Beach)、ナホーン・コーナー(Nahoon Corner)などがあります。
イースト・ロンドンのホテルは、ホテル オスナー、ザ パラリアン、スターリング ホテル、ハーリントン ゲストハウス、クアリー レイク イン、プレミア ホテル EL ICC、レオパルド ツリー、ブルー ラグーン ホテル、23 オン カムデン ゲストハウス、フォーティーンス グリーン ゲスト ロッジ、ブルー ビュー ホテル、キャッスル ハウス、ミアンダー イン、スッタドフォードス ゲストハウス、パーム ツリー マナー、プリンセス ロッジ ゲストハウス、ダヴァリゥー ロッジ & ヴイラズ、トゥ カーサ、ドーソン マナー ゲストハウス、ザ ヒル ブティック B&Bなどがあります。
南アフリカ共和国におけるイースト・ロンドンの位置が判る地図
地図サイズ:480ピクセル X 360ピクセル
イースト・ロンドンへの交通アクセスは、飛行機ではキング・ファーロ空港(King Phalo Airport、旧名(2021年2月まで)イースト・ロンドン空港(East London Airport))、鉄道ではイースト・ロンドン駅(East London Railway station)があります。
南アフリカ共和国の最大都市ケープタウン からイースト・ロンドンまで飛行機で 1時間35分(直行便、2~3便/日)、ポート・エリザベス からイースト・ロンドンまで車やバスで 3時間10分(東北東へ道なりで 285km)です。イースト・ロンドンからダーバン まで飛行機で 1時間15分(直行便、4便/週)、イースト・ロンドンからウムタタ を経由してダーバンまで車や長距離バスで 8時間50分(北東へ道なりで 660km)です。イースト・ロンドンからブルームフォンテーン まで車や長距離バスで 6時間40分(北北西へ道なりで 570km)です。
イースト・ロンドン地図(Map of East London, Eastern Cape Province, Republic of South Africa)
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