インド旅行記 の はじめに
ZenTech のインドへのイメージは、
「行けば、人生が変わる」「悟りが開ける」「聖地のような所」
「インド旅行は崇高」である。
と言うことでZenTech の旅行人生?で最後に行くところと、勝手に思いこんでいた。
まぁ、インドの後は旅行に行かないのではなく、他の所へ行っても「崇高なインド!?とは比べものにならない」と強く思う。。。
インド旅行した友人談「面白かったけど、そんなに思い詰めるほどの所じゃないよ」って事である。
思い詰めているインドであるが正直にいえば、インドのことをよく知らない。鉄道小説、紀行文(椎名さん)、秋野不矩さん、友人の話、ガイドブックの知識くらいのものである。
インドの首都(デリー)
「食えるじゃん(まずくはくはない)」と独り言を言いながら飛行機でカレーを食べた。
想えばこの瞬間は幸せでした。
インド旅行中食べたカレーの味と言えば、ダメダメ。
安食堂で食べてばかりいたので美味いカレーに出会わなかったのでした。
飛行機は、カンジー国際空港に無事到着。ガイドブックによるとデリーINはトラブル多発とか。機内でガイドブックを熟読し対策を研究した。
空港は綺麗。イミグレも難なく通過。税関前の銀行で両替。ガイドブックによると「お金をごまかされないように注意」と書かれていた。じっくり札の枚数を確認。特に問題なし。税関も問題なくスルーパス。順調である。
税関を抜けるとタクシーの窓口があり「空港→メインバザール」行きタクシのチケットを購入。いよいよ出口であるが、インド人がドワドワと寄ってくることもなく、
トラブル多発のデリーIN???と拍子抜け。平穏無事な到着であった。
ガイドブックのお陰か空港・タクシーとも問題なくメインバザールへ到着。ここは、個人旅行者のたまり場。近くにNewDelhi駅もある。通りを歩くとホテルの客引きも多い。日本人が多いなぁ と見ていたら実は韓国人ばかり。
1日だけデリーに滞在(オールドデリー見物、国立博物館、アグラ行き電車の予約)し、本格的にインドへ突入の予定。出国もデリーなので後からでも見物できるはず。。。である。
ラール・キラー(=赤い砦:左写真)までは、かなり遠かった。オート・リクシャーで行こうかと思ったが、リクシャマンが吹っ掛けてくるので断った。歩いたのです。失敗。暑くて暑くて、おまけに道が判らず(道路標識が少ない)余計に歩くし。途中で水を買ったりジュースを飲んだり。
ラール・キラーは、ムガール様式のお城でなかなか良かった。当然、ムガール様式を見るのは初めて。今回のインド旅行中にたくさん見て見飽きたけど、最初だったのでとても新鮮。
次にジャマー・マスジット。イスラム寺院(モスク)です。異教徒でも入れてくれる。入場無料だが、カメラ代100ルピー。靴を脱がされる(靴下も)。
ぎらぎら太陽で焼かれた境内を歩くのは地獄。と言うことで、歩くところは濡らしたゴザが道になっている。ゴザを歩いた後、足の裏が塗れているので大理石の階段で滑って転んじゃったよ。とても痛かった、死ぬかと思った。よくある事みたいで周りの人が「大丈夫か?」とにやにやしながら心配してくれる。昼を過ぎてかなり暑い。
国立博物館までは、オート・リクシャーにした。60ルピー。かなり値切ったつもりだが、きっとボラれていることだろう。
歴史好きのZenTech にとっては旅行先の国立博物館詣では必須事項である。観光ポイントを確認するのである。サンチーという場所が仏教遺跡でかなりレベルが高いようだ。是非、行かねば。ガイドブックを確認するとちゃんと出ている事だし無事行けるでしょう。
博物館はエアコン完備でとても良く、展示内容も良かった。
国立博物館のカフェテリアで遅めの昼食。メニューを見て頼むけど、「それはない」の連発。結局カレーとラッシー。土産物の売店が充実していた。
博物館〜コンノート・プレイス〜NewDelhi駅までは歩いた。博物館前でオート・リクシャーと交渉したが折り合わなかった。歩き過ぎです。
「博物館〜コンノート・プレイス」間はインド門とか官邸などがある綺麗な大通りだった。
「コンノート・プレイス」は商業施設。銀行/商店/航空会社のたくさん集まった場所。真ん中の公園を中心として放射線状に道路が出来ている。地下鉄の工事中でちょっと不便。
「コンノートプレイス〜NewDelhi駅」間は約2Km。道がだんだん汚くなっていく。インドの道路はゴミ箱なのです。みんなポイ捨て。牛のウンチもあるし。歩くときはキョロキョロ前と下を交互に見ながらです。
NewDelhi駅には、外人をカモにしようとする人が大勢います!タクシー/リクシャ/ガイド等々(駅と限らずそこらじゅうですが)。
で鉄道予約は、駅2Fの外人専用オフィスでスムーズに出来ました。列車案内のカウンターもあるし、予約はコンピュータ化されていてちょっとビックリ。
インド国鉄予約
インドの列車は、インターネットで予約できます。そう、日本からも予約可能。実際には使っていないので判らないが、なかなかやりますね。時刻表検索もできます。
Indian Railway
普通は、現地で予約ですよね。二等車以外は全て指定席なので予約が必要です。予約は、前日まで受け付けています。
小さな駅だと駅舎の中に窓口があったります。大きな駅は、駅舎の隣にRESERVATION Officeがあります。予約はコンピュータ化されているのでスムーズです。
言葉の関係でしょうが、外国人ツーリストはVIP扱いで一般インド人と別窓口の駅もかなりありました。この窓口は英語で対象者が書かれている。VIP/軍人/報道/外人など。
座席の等級 | |
---|---|
AC 1st | エアコン一等 |
AC 2 Tier | エアコン二段寝台 |
AC 3 Tier | エアコン三段寝台 |
1st | 一等 |
AC Chair Car | エアコン座席 |
Sleeper | 三段寝台 |
Second Sitting | 二等 |
スジャータ村
ガイドブックによると、ブッダガヤの近くにスジャータの村があると記載されている。
ZenTech の中でスジャータと言えば、子供の頃TVコマーシャルで流れていた「♪スジャーター、スジャーター♪」コーヒーに入れるミルクである。
インドで???となったので行ってみた。今にして思えば仏教説話も知らない「お馬鹿な奴」である。
「バラモンの娘(スジャータさん)が、修行中のお釈迦様に乳粥を食べさせた」と言う説話のある村がスジャータ村でした。だから「褐色の恋人 スジャータ」なる商品が発売されたのである。発売元:めいらく
褐色の恋人とは、インド娘であった!なかなかのネーミングである。
スジャータ村であるが、見るべきものは少ない。遺跡としては、スジャータの家跡に建てられた崩れかけのストゥーパくらい。あとは、何処にでもあるヒンドゥ寺院。この村の子供が五月蠅い。ちょっとガイドをして、とんでもない金額(100ルピー)を要求するナメたガキ供である。小学校もある、見学させてくれる。ここで簡単な日本語教育をしているようである。
スジャータ村はガイド製造基地であった。
左写真は、村はずれにあった「お釈迦さまと捧げ物をする人」の像。右端の黒い人は像ではなく生きたお婆さん(たぶんスジャータさんが、ババァに乗り移っている)。スジャータさんの像は別のお寺にありました。何故か写真を撮っていない(たぶんガイドの子供がうっとしかったのでイヤになった)。
お釈迦様(サルナート)
仏教4大聖地、初転法輪の地。バラナシの東方10Kmにあります。バランシ駅前からバスが出ているとの事なので、道路沿いに汚いバスがたくさん停まっているあたりで聞きまくった。ようやく見つけるも例によって「満員にならないと出発しない」。出発しても、乗り降りが多くてなかなか着かない。30分くらいでやっとそれらしい風景(何となくお寺が見え出す)。「ここだよ」と教えて貰い下車(バス代は6ルピー)。何か今までのインド(とか言っても、まだインド11日目)と違う。何が違うかと言いますと「のんびりしている、五月蠅い物売りが居ない」です。
まず最初に見物したのは「サルナート博物館」ここは、インドのお札・コインに出てくるアショカ王の石柱のてっぺんにあった4頭獅子の彫刻があるんです。それは、入り口にデ〜ンと置かれていました。見応えあり。後は、まあまあ有名な法輪(その方面では貴重な物)が展示されています。これも良し。他は、仏像とヒンドゥ教の石像などなど。
次に行ったのは、遺跡公園(Deer公園)。仏教遺跡。ここにアショカ王の石柱があります。現在は、4本に折れた石柱が柵に囲まれて立ててありました。大きな「ダメーク・ストゥーパ」も良いです。ちょっと崩れかけですが側面の一部に綺麗なレリーフが残っています。かなり大きなストゥーパなので日陰で疲れた体の休息、同じ様な旅行者と喋ったが、英語だったのと・暑さで脳味噌が沸騰し掛けていたの、何を話したのやら、です。この遺跡公園は、昔の修行場だったので小ストゥーパや建物跡がありました。
インド人の掃除おじさんが「おお、ニホンジンか」「あそこの人(インド人)は日本に行ってたんだよ」って、あそこにいたおじさんも寄ってきてちょっとお話。日本で働いていたんだとさ。何だかインドは遠くの国だと思っていたのだがいろんな所でこのようなおじさんに出会う。きっと不法就労者かと考えたりした。
次は「初転法輪寺(Mulagandhakuti Vihara)」内部にある壁画は日本が協力しています。野生司香雪(1885〜1973)と言う画家が描いた作品です。これは戦前のこと、全然知りませんでした。壁画は仏教説話を描いたものです。
この寺院の隣に初転法輪を再現したモニュメントがあります。
左の写真です。
← ワシ、これを見て とても感動した!
この説法が始まりとなって、日本まで伝わり、今日の日本があることを思えば、ここが日本の原点のような気がしたのです。また、宗教的こころの喜びを感じてしまった。。。。ウソみたいなホントの話よ。
と、この時点で11日間インドを旅して蓄積されたインドへのストレスは飛び散り、もとの清らかな心???を取り戻したのでした。「よし、残りの聖地も行こう」と心に誓ったのは言うまでもありません。
初転法輪寺の後には動物園がありました。サルナートは「鹿野園」と呼ばれているだけに、動物園には可愛い鹿がおりました。その他の動物は、鳥が多かったですね。他にはワニも居ました。インド人はワニが好きみたいです。多分、水中にすんでいるから。
ちなみに。サルナートで心が清められたZenTech ではありますが、その後1ヶ月半のインド旅行によって、「テメェ〜」「ナニ、するんじゃ」などの汚い言葉を何度も使い、心身ともにズタズタになりました。
体調不良。ダメかも
インド+ネパールで2ヶ月の旅。7月1日にデリーに入り、まずいカレーを食い、暑い中を歩き回り一ヶ月近く過ぎた頃、ムンバイに到着した。モンスーンまっただ中。タイのスコールと違う雨でした。タイのそれは、昼過ぎてから長くても2時間くらいのドシャブリ。ムンバイは「朝から晩までドシャブリ」って感じでした。天気予報でも「凄いから気をつけましょうね〜」とか言っている。
そんな集中豪雨にもめげず5時間も歩いてカンヘリー石窟に行ったのが、まず失敗。連日の雨で気持ちもブルーになって、1ヶ月近いインド旅行の疲れも重なり少々風邪気味である。ムンバイの後は今回のインド旅行最大の目的地エローラ/アジャンタ石窟である。。。
一回目のそれは、アジャンタ石窟も見終わったファルダプル村から始まった。小腹が空いたので屋台の揚げ物を食べた。変な味がした。でも食べた。夕食は、近くのトラベラーズロッジのレストラン。総菜の味が変に酸っぱかった、これも全て平らげた。と、この日は変な味が続いた。翌日、ちょっとお腹が変!まぁ、今日はジャルガオンまでのバス移動だけだしと気を取り直し、ジャルガオンまでは行けた。本格的に下痢となる。体調も振るわないことだし、昼食はまともなレストランに行って食べたが「まとも過ぎて冷房効きすぎ、とてつもなく寒い」結局ここでも体力消耗。「こんな下痢は記憶にない」くらい凄まじく一晩中トイレ。あ〜、もうトイレットペーパー無い。。。朝が来たのでトイレットペーパーを買いに行く。昨日も買った店である。今日は2ロール買う。トイレットペーパは種類によって値段が全然違うことに気づいた。観察によれば、一重/二重/紙の長さによって値段が決まるようである、弱った体で感心した、当然か。
この日はアハメダバードまで日中の電車移動。エアコン3−Tierである。が、昨日予約したとき満席だったので、WaitingList(空きが出れば乗れる)での予約である。残った体力を振り絞り、ザックを担いでフラフラ状態で駅にたどり着きプラットホームへ直行。ホームの乗客リストを確認。確認するも、ワシの名前無し。左の絵はその時の気持ち。
一瞬放心するも、ホームで列車をじっと待つ。一時間遅れで列車が入ってきた。エアコン3−Tierの車両を探す。そして車掌様を探す。WaitingListのチケットを見せて「ワシのシートは・・・」とお願い。車掌様は、乗客リストを調べてくれるが勿論ワシの名前など無い。ワシは、悲しくて、目をウルウルさせて「オネガイ」ってお願いをする。車掌様は哀れに思いシートを用意してくれた(たいてい、緊急用に1シート残してある)。と言うことで無事乗車。ちなみにインドの予約システムは、乗客が途中下車した後に次の乗客の予約を入れることは無いみたい、つまり実際には空きが出ている。ムンバイでひいた風邪+下痢でダウンして丸一日寝台列車で横になる。飯も食わずに寝ているワシを見て、哀れに思ったのか乗り合わせた、若夫婦の女性がリンゴをくれました。親切なインド人、ありがとう。
その後、数日は静養を取り下痢は何とかおさまった。風邪は引いたまま。咳が止まらない。
ウダイプル->ジュードプル->ジャイサルメールと乾燥地帯へ入るにしたがい、埃っぽいせいか咳が止まらない。咳のしすぎが肺が痛くなってきた。咳をする度に肺が痛む。夜も咳が止まらず眠れない。このあたりで「やばいね」と思い始める。よせばいいのにジャイサルメールでは、日帰りではあるがキャメルサファリ(ラクダに乗って砂漠を行く)。ラクダ、乗り心地悪い、お尻が痛い。当然、暑い。昼飯喰って、お昼寝。ずっと、咳が止まらない。帰り道は、サービスでラクダを全力疾走させてくれる。「やめてくれ〜」といっても飛ばすキャメルドライバー。体はボロボロ。キャメルドライバー氏は最後に「おまえの咳は病気だよ、医者に行きなさい」って忠告してくれる。そうね、あんたの乱暴なラクダ操作で悪化したよ。
その後、ジャイプルをまわり、デリーへ戻る。エアー・インディアで出国であるが飛行機は一週間後まで満席。仕方なく一週間辛抱。メインバザールのホテルで静養。
インドの病気は、インドの薬で治る。
らしいので、薬屋さんへ行く。日本と違ってばら売り(2日分とか)していることもあり安い。錠剤の形が大きいので飲みにくい。味は、信じられないくらい不味い(苦い+あと味悪い)。
静養するはずであったが、ニューデリー市内観光に行ったりもした。ちょっと良くなったので、二度目の国立博物館へも行った。これが失敗。国立博物館のカフェテリアで何かが良くなかった(たぶん、ラッシーにあたった)。夜から超特急。眠れない。あと2日で出国なのに〜。一ヶ月近くの体調不良でヘロヘロ。インドの薬も全く効かない。
などなど、今回のインド旅行は 体調的に最低であった。
そこで、旅行中の体調管理注意点(ワシの反省)をまとめてみれば
秋野不矩(あきの ふく)さん
ZenTech は、絵は下手だが見るのは大好きである。
ZenTech 思うにインドの絵と言えば、秋野不矩さん(日本画家)である。もう亡くなられたが、90歳を過ぎてもインドへ絵を描きに行ったほどの人、とてつもないエネルギーである。インドの大地,寺院,牛,川をモチーフにした黄色っぽい絵が多い。秋野不矩さんの絵を見ていると猛烈にインドへ行きたくなるのだ。何で黄色かは、インドに行ってみた判った。たぶん「土」とか「太陽」のイメージかと。。。秋野不矩さんの絵を見たい時は静岡県天竜市の秋野不矩美術館へ行けばいいです。静岡県立美術館にもありますよ。そうそう、秋野不矩さんは絵本の挿し絵でも有名ですよ。
Pashmir
インド旅行中、布地屋さんの看板に「Pashmir」というのをよく見た。ZenTech は、恥ずかしながら、そんなもの知らなかった。ローマ字読みで「パシミール」と読んでいて、そうかカシミヤのバッタ物?と思いこんだ。何故か、化学繊維と思ったのである、恥ずかしい。
ずっと気になっていたので帰国後調べたら。。。正確には「Pashmir」は「パシュミール」と読みみたい。「パシュミナは、あのカシミアを作るカシミアヤギの喉からお腹にかけて生えている柔らかい毛の名称で、よりすぐった最高級のカシミアのことです。」とあった。パシュミールとパシュミナは、ほぼ同意語みたいですね。
もし、買いたくなったら -> パシュミナスタイル へどうぞ。