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トルコ写真
1995年、海外旅行で訪れたトルコの写真です。イスタンブール、エフェソス遺跡、カッパドキア、アンカラ、トラブゾン、コンヤ、ドゥバヤジット、ヴァン、キュタフヤ、パムッカレ、エルズルムの写真があります。
トルコのドゥバヤジット(イランとの国境)にあるイサクパシャ宮殿
東ローマ帝国やオスマントルコの首都であり、アジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。金角湾とボスポラス海峡により街は3分されています。
古代ギリシャの植民都市ビュザンティオンが、イスタンブールの起源。ローマ帝国末期にコンスタンティヌス1世がここに遷都、ビュザンティオンをコンスタンティノポリスと改名。以来1000年以上に渡り、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として栄えた。15世紀にはオスマン帝国のメフメト2世により街が征服されました。その後、オスマン帝国の首都となりイスタンブールは引き続き東地中海を支配する帝国の首都として栄えました。聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)をはじめとする多くのキリスト教の教会がモスクに転用され現存しています。長く東ローマ帝国の首都であったのでローマ遺跡も数多く残っています。
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エフェソスは、紀元前16〜11世紀頃、ギリシャから移住してきた人々が建てた町です。アルテミス神殿を中心に繁栄しました。途中衰退した時期がありますが、ローマ時代に再興され、アウグストゥスの時代には、ローマ帝国のアジア州の都とされ行政と商業の中心として、広大な帝国内でも5本の指に入る大都市として発展しました。時代とともに港が浅くなり、港湾都市として使えなり街は衰退していきました。
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南北約50kmに広がるエリア内に、キノコ岩や様々な色をした岩肌などの自然美と、紀元前からの文明の遺跡などが数多く点在します。原始キリスト教関連の地下都市・教会・壁画が数多く残っています。
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アンカラは、トルコ共和国の首都です。アナトリア半島の中部に位置しています。人口255万人の都市でモダンな建造物と古代の遺跡がうまく調和しています。トルコ建国の父であるケマル・アタチュルクの眠るアタチュルク廟が最大の観光ポイントです。
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紀元前7世紀にギリシア人によって交易都市として建設です。黒海に面し通商路の基点であったため交易都市として発展しました。紀元3世紀には衰退しましたが、紀元13世紀に東ローマ帝国の末裔(アレクシオス・コムネノス)によりが、トレビゾンド帝国が建国され、トラブゾンが首都になりました。
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コンヤは、トルコ中南部に位置する古都、世界最古の都市の一つ。歴史は古く紀元前3,000年の青銅器時代から続いています。イスラム教神秘主義のメブラーナ教団の発祥地。宗教的瞑想の為の舞踊(ひたすらクルクル廻る)が有名で、毎年12月に公開されます。
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ノアの箱舟伝説で有名なアララット山(トルコ名:アール・ダァ)の麓の街ドゥバヤジット、イランとの国境の街です。
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トルコ最大の湖:ヴァン湖(塩水湖)の東のにある街。第一次世界大戦時、ヴァンのアルメニア人がオスマン帝国政府に対して蜂起し町を占領した。その後すぐに、オスマン軍はヴァンに侵攻し、アルメニア人住民を追放するが、その際に多くのアルメニア人が殺されたとされる。トルコは、公式にはこの虐殺を認めていない。
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16世紀から17世紀にかけて、 キュタフヤ のキルン(窯)からエキゾチックな陶磁器が生まれました。今日でもその技術は受け継がれており、作業場を覗くと熟練した職人が乳白色の下地にコバルト・ブルーのパターンで知られるタイルやお皿、ボールを制作している姿を見ることができます。街中にタイルで装飾された建物があります。全面ブルータイル張りのモスクもあります。
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