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ガイウス・ケスティウスのピラミッド地図


 ガイウス・ケスティウスのピラミッド(イタリア語:Piramide di Caio Cestio(ピラミデ・ディ・カイオ・ケスティオ)もしくは Piramide Cestia(ピラミデ・ケスティア)、英語:Pyramid of Cestius)は、イタリアの首都ローマの中心部にあるサン・パオロ門(Porta San Paolo)とプロテスタント墓地の近くにある古代ローマのピラミッドです。エプロネス宗教団体(Epulones)の一員であったガイウス・ケスティウス(Gaius Cestius)の墓として、ヌビアのピラミッド様式(Nubian pyramids、ナイル川流域のヌビア地域(現在のスーダン領)に栄えたクシュ文明で造られたピラミッド、クシュ人がエジプトを征服しエジプト第25王朝を建てた頃からピラミッド建設が増え、クシュ文明が終焉する西暦300年頃までピラミッドが造られました)で建てられました。このピラミッドは、オスティエンシス街道と、現代のマルモラータ街道とほぼ同じ線に沿って西にテヴェレ川まで走っていた別の街道という 2つの古代の街道の分岐点に位置しています。街の要塞(城壁)に組み込まれていたため、今日ではローマで最も保存状態の良い古代建築物の一つとなっています。
 
 このピラミッドは、ローマの 4大宗教団体の 1つであったセプテンウィリ・エプロヌム(Septemviri Epulonum)の政務官およびメンバーであったガイウス・ケスティウスの墓として紀元前 18~12年頃に建てられました。このピラミッドは、石灰華の土台の上に白い大理石の板で覆われたレンガ張りのコンクリートでできています。ピラミッドの基部は 100ローマフィート(29.6メートル)四方で、高さは 125ローマフィート(37メートル)です。
 内部には埋葬室があり、長さ 5.95メートル、幅 4.10メートル、高さ 4.80メートルのシンプルな樽型天井の長方形の空洞です。1660年に開かれ、1663年に当時のローマ教皇アレクサンデル7世により修復工事が行われ、埋葬室にはピエトロ・サント・バルトリ(Pietro Santo Bartoli)がフレスコ画を描きました。このフレスコ画の痕跡はわずかに残っているだけで、その他の内容物の痕跡は残っていません。墓は建設当時は封印されており、外部からの入口はありませんでしたが、その後、おそらく古代に盗掘されていました。2015年に修復工事が終了するまで、通常は学者にのみ与えられる特別な許可がない限り、訪問者は内部に入ることが出来ませんでした。2015年5月初旬から、ピラミッドは毎月第2、第4土曜日に一般公開されています。ただし、訪問者は事前の予約が必要です。
 
ガイウス・ケスティウスのピラミッド写真
ガイウス・ケスティウスのピラミッド
 
 ガイウス・ケスティウスのピラミッドの最寄りの公共交通機関は、ローマ地下鉄 B/B1線のピラミデ地下鉄駅(Piramide)があります。駅からガイウス・ケスティウスのピラミッドまでは徒歩5分(400メートル)です。路面電車では 3/8番のポルタ・サン・パオロ電停(Porta S. Paolo)があります。バスでは 77/769/775番のプレ・オスティエンセ・ピラミデ バス停(Ple Ostiense-Piramide)があります。
 
ガイウス・ケスティウスのピラミッド地図(Map of Pyramid of Cestius, Roma, Italy)
ガイウス・ケスティウスのピラミッド地図
地図サイズ:560ピクセル X 440ピクセル
 
ガイウス・ケスティウスのピラミッド地図(Google Map)
 

 
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