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天水 地図
天水市(てんすい し / ティェンシュイ シー、中国語簡体字:天水市(Tiānshuĭ)、繁体字:天水市、英語:Tianshui City、旧称は「上邽」「秦州」「成纪」)は、中華人民共和国・西北地方の甘粛省南東部にある都市(地級市)です。省都の蘭州に次ぐ省第二の都市です。省南東部に位置し、渭河上流域、黄土高原と秦嶺山脈の境界に沿って広がっています。2020年の国勢調査によると、天水市の人口は 2,984,659人(2015年時点では総人口 331万1,700人)で、そのうち 1,212,791人が秦州市と麦集市という 2つの市街地(都市圏)に居住しています。総面積 14,277平方キロメートル、市区面積 5,857平方キロメートルです。天水市の下位行政区画は、2市轄区・4県・1自治県で構成され、市轄区は秦州区・麦積区、県は清水県・秦安県・甘谷県・武山県、自治県は張家川回族自治県となっています。麦積山石窟などの史跡が今も残るように、天水市とその周辺地域は中国初期の歴史において重要な役割を果たしてきました。
天水市 イメージ(伏羲廟)
秦は、嬴(えい)家を祖とする中国帝国の建国王朝の支配者一族であり、南方のQuanqiu(現在の礼県)から発展しました。西周を滅ぼした西戎(Xirong)の侵攻後、秦は遊牧民から天水の領土を取り戻しました。天水は彼らの公国、そして後に王国の重要な地域となりました。近くの放馬灘墓群(Fangmatan)では、秦の墓が数多く発掘されており、その中には 2200年前の秦の Gui County の地図も含まれています。
秦帝国時代、この地域は隴西郡の一部でしたが、漢の武帝はタリム盆地への領土拡大の一環として、紀元前 114年にこの地域を天水郡として分割しました。将軍の李広(文帝・景帝・武帝に仕えた前漢の将軍)はこの都市出身です。漢の征服と探検は、最終的に北方シルクロードの発展へと繋がりました。天水は渭河との合流点となり、その後、龍山を過ぎて長安(現在の西安)へと至りました。近くには麦積山石窟があり、魏から宋にかけて、この道を旅する僧侶や地元の仏教徒によって制作された、仏陀や観音菩薩の男性像など、数千体もの仏像が安置されています。
北魏の時代、天水は「漢陽(Hanyang)」と呼ばれ、漢陽郡の中心地でした。西魏の時代、この地は漢陽県に改称されました。唐と五代の間、天水は「上邽(シャンギュイ、Shanggui)」と呼ばれていました。秦州(Qinzhou、現在の秦安)の省都として、成吉(Chengji、現在の秦安(Qin'an))が置かれました。礼県は明代の成化9年(1473年)に天水の管轄から分離されました。
伝説によると、天水(てんすい)の名は、天から生まれた湖に由来し、一年中大きさが一定に保たれていると言われています。
天水市の観光名所としては、南郭寺(唐代中期の詩人「杜甫」の漢詩に詠まれた古刹(仏教寺院))、李広墓(前漢時代に匈奴討伐で活躍した天水出身の将軍「李広」の墓)、伏羲廟(Fuxi Temple、「伏羲(ふくぎ)」三皇の筆頭に挙げられる伝説上の人物の廟、西暦1490年(明の弘治3年)に創建、1524年(明の嘉靖3年)に修復)、玉泉観(天靖山の山麓にある道観(道教寺院)、西暦1276年(元の至元13年)に創建、現在の建物は明から清の時代に再建)、胡氏古民居建築、炳霊寺石窟、龍園、麦積山石窟(後秦から清の時代までの長期に渡り開窟された仏教石窟、194の石窟が現存)、仙人崖(仙人が住むといわれる景勝地区)、石門山、天水 街亭温泉、姜維墓(天水出身「姜 維(きょう い)」は、中国三国時代の魏と蜀の武将(諸葛孔明の後継者とも)の墓)、大象寺(天水市甘谷県)、水簾洞石窟群(天水市武山県楡盤郷)、大地湾遺址(天水市秦安県)などがあります。
天水のホテルは、陽光飯店、飛天美居酒店、天水 インペリアル・ホームタウン・ホテル(Tianshui Imperial Hometown Hotel)、華天電子賓館、天水凱麗瑞斯羲園酒店、錦江之星旅館、凱悦大酒店、天水水晶花園酒店、天水賓館、羲皇故里大酒店(Yihuang Guli Hotel)、華聯大酒店、金龍大酒店、グリーンツリー・イン 甘粛 天水 ランティアン シティ・プラザ・エクスプレス・ホテル(GreenTree Inn Gansu Tianshui Lantian City Plaza Express Hotel)、ホンウェイ ホテル(Hongwei Hotel)、皇城国際飯店、錦江 イン・セレクト 天水鉄道駅 金都 プラザ(Jinjiang Inn Select Tianshui Railway Station Jindu Plaza)、ココ・テーマ・ホテル(Coco Theme Hotel)、皇冠仮日酒店、花園酒店、山水 ガーデン・ホテル(天水山水苑酒店、Shan Shui Garden Hotel)などがあります。
中国における天水の位置が判る地図

地図サイズ:480ピクセル X 360ピクセル
天水への交通アクセスは、飛行機では天水空港(天水机場)、鉄道では天水駅(隴海線(江蘇省連雲港市~甘粛省蘭州市))があります。西安から天水まで飛行機で 1時間5分(直行便、2便/日)、重慶から飛行機で 1時間25分(直行便、1便/日)、天津から飛行機で 2時間15分(直行便、1便/日)、南京から飛行機で 2時間40分(直行便、3便/週)、杭州から飛行機で 3時間10分(直行便、4便/週)です。西安から宝鶏を経由して天水まで車や長距離バスで 4時間30分(西へ道なりで 350km)です。蘭州から定西を経由して天水まで車やバスで 3時間45分(南東へ道なりで 310km)です。天水から平涼まで車やバスで 4時間15分(北東へ道なりで 245km)、隴南まで車やバスで 3時間5分(南西へ道なりで 230km)です。
甘粛省における天水の位置が判る地図

地図サイズ:480ピクセル X 360ピクセル
天水地図(Map of Tianshui city, Gansu Province, People's Republic of China)、Google Map
天水の交通機関と観光名所
- 天水の交通機関
- 天水駅(天水火車站) / 天水站 / Tianshui Railway Station:隴海線、天水市麦積区隴昌路
- 天水バスターミナル / 天水汽车站:天水市秦州区新華路
- 天水空港(天水麦積山空港) / 天水麦积山机场 / Tianshui Maijishan Airport:軍民共用空港(西安との間に航空便あり)、天水市街中心部(天水市秦州区)から東へ約13キロメートル(天水市麦積区)
- 天水の観光名所
- 南郭寺:杜甫(唐代中期の詩人)の漢詩にも読まれた古刹(仏教寺院)
- 李広墓 / 李广墓:「李広」は、前漢時代に匈奴討伐で名を馳せた天水出身の将軍です。
- 伏羲廟 / 伏羲庙:「伏羲(ふくぎ)」三皇の筆頭に挙げられる伝説上の人物です。廟は、西暦1490年(明の弘治3年)に創建され、1524年(明の嘉靖3年)に修復されたものです。
- 玉泉観 / 玉泉观:天靖山の山麓に位置する道観(道教の宗教施設)建築です。西暦1276年(元の至元13年)に創建され、現存する建物は明から清の時代に建てられたものです。
- 天水周辺の観光名所
- 麦積山石窟(麦積山) / 麦积山石窟:後秦から清の時代までの長期に渡り開窟された仏教石窟、194の石窟が現存し、7000体以上の塑像や石像があり、総面積1300m2もの壁画が残されています。天水市街から南東へ約37キロメートル(地図外右下)、天水駅から34路バス「麦積山行き」に乗り所要約1時間です。
- 仙人崖:古くから仙人が住むといわれる景勝地区、天水市街から南東へ約37キロメートル(地図外右下)
- 石門山(臥虎台) / 石门:名勝区、天水市街から南東へ約41キロメートル(地図外右下)
- 天水 街亭温泉:天水市街から南東へ約33キロメートル(地図外右下)
- 姜維墓 / 姜维墓:「姜 維(きょう い)」は、中国三国時代の魏と蜀の武将(天水出身)で、「三国志演義」では諸葛孔明の後継者ともされる才覚に恵まれた武人とされています。天水市甘谷県、天水市街から北西へ約36キロメートル(地図外左上)
- 大象寺:天水市甘谷県、天水市街から北西へ約42キロメートル(地図外左上)
- 水簾洞石窟群(水簾洞) / 水帘洞:水簾洞、千仏洞などの石窟があり、最大の見所は拉捎寺の岩肌に彫られた高さ40メートルの釈迦座像のレリーフです。天水市街から北西へ約76キロメートル(地図外左上)、天水市武山県楡盤郷
- 大地湾遺址 / 大地湾遗址(仰韶文化遺址):天水市秦安県、天水市街から北北東へ約50キロメートル(地図外上)
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