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アール・ダア(アララット山)1995


アララット山写真  アール・ダア(=アララット山 左写真、絵はがきより)を見るためにトルコの東の果て、ドゥーバヤジットまで来た。 イラン国境の街 and 東部アナトリア地方だけあり、兵隊も多く警察でさえ装甲車を使っている。軍事基地も大きく、戦車だけでも12台以上(珍しくて数えたのよ)。町の主要箇所・銀行!?の入り口は自動小銃で武装した兵隊が監視しています。

 1日目は長旅(丸一日のバス乗り継ぎ)の疲れがあったので、 街中をブラつくだけにした。街の人々はトルコ人よりクルド人(鼻の形がトルコ人 と違う。アラブ人ぽい感じでしょうか)が圧倒的に多い。 アール・ダアは街中からも見えるはずだが、ゆっくり見たかったので少し歩くことにした。
 
 街からはずれると(とは言っても、徒歩10分)、ブロックで作った1階建ての立方体の家。 いかにも貧しそう。東部アナトリアは大変そうだな〜。
 
子供たち写真  そうこうする内に子供たちが寄ってきて「フォト、フォト」って言うのです。 しょうがない、写真撮ってやるか。次は「アドレス・アドレス」です。 最初何の事だか理解できませんでしたが、きっと写真送って欲しいのかなと理解しました。 紙とボールペンを渡して住所を書かせました。トルコ各地で写真をせがまれ写して、 律義にも日本帰国後写真を送りましたが、礼状は一切来ていません。 期待はしていなかったがやはり寂しいですね。
 
 また「アドレス」の他のバージョンとしては、「パラ・パラ」=金・金、 「チョコラッタ」=チョコレート等かありました。ちなみに子供が2人以上集まると必ず 「フォト・フォト」が始まるようです。
 
 雄大なアール・ダアは、5000m級の山だけあって、その日は雲がかかり頂上を見せてくれませんでした。 右どなりに富士山型の山(小アール・ダア)が綺麗に見えました。
 
 帰り道の途中、軍の装甲車が駐車してあった。日本じゃなかなかお目にかかれない代物なので見物をする。 ジロジロと車を見ていると、兵隊さんがやって来ました。もちろん自動小銃付き。

「Come on!」ヒェ〜、何か悪いことしたのか?私は写真も撮ってないし、触ってもいないのに・・・。 結局兵舎に連れ込まれたのでありました。入り口の横にある部屋へ連行?されると 当直将校みたいな少し偉そうな人と下士官みたいな人がデスクに座っています。
 
 私はかなり不安になりながら、やけっぱちながらも「メルハバ(こんにちは)」と挨拶をして 自分から握手を求めました。将校さんが、チャイはどうだとか、タバコは?などと友好的に聞いてくる。 すかさず私はマルボロをプレゼント。結構喜んでくださいました。 実は装甲車を見物している変な日本人相手に暇つぶしをしたかったらしい。ここで一安心。ほぉ。 然し乍ら軍人さん相手では少々窮屈。私にも相手方にも込み入った会話を継続するだけの英語力なし。 仕方がないので、「得意の地球の歩き方」を使って会話を楽しんだ。
 
 この将校さんは、ギリシャ・シリア・イラク・イランその他周辺諸国へ行ったことがあると自慢していた。 いったい何をしに行った事やら。ドンパチがらみだとは思うけど、恐ろしくて詳細は聞けませんでした。 また、話をしていて気付いたことだけどアメリカが嫌いらしい。トルコ人全体としても嫌いな人が多いみたい。 第2時世界大戦で日本全土がアメリカの空襲に遭ったことをよく知っており「日本人もアメリカが嫌いだろう?」 などと言ってきます。私としてもアメリカの偉そうな態度が嫌いなので「そうだよ!だってアトミック・ボムだもん」 などと調子のいい返答。「そうだろう、そうだろう」と嬉しそうでした。しかし、トルコはNATOでアメリカと 同盟関係じゃなかったかな?と考えてしまいました。
 窮屈ではありましたが、チャイを2杯、タバコを2本ご馳走になり、なかなか貴重な体験でした。
 

 2日目は、クルド王国のイサクパシャ宮殿とノアの箱舟とメチュル・ホール(隕石の穴:世界第2位)。
 
 イサクパシャ宮殿へは片道7kmを徒歩。道は軍事基地の中を通過するので最初に検問がありパスポートチェック。 またまた戦車・装甲車を横目に見ながら歩く。途中監視の兵隊さんがいる所では「メルハバ!」と大きな声で必ず挨拶。 また基地に連れ込まれるのはちょっと・・・ですからね。基地を過ぎるとダラダラ坂が続き所々クルド集落がある。 たまに子供達に遭うと、例の「フォト・フォト攻撃」である。イサクパシャが見え近そうであるが、 つづら折りの道でなかなか到着できません。流石、7kmは伊達じゃないですな。ぺんぺん草の荒れ地では羊の放牧。 「遠くへきたもんだ」なんて考えてたら、牧羊犬が10m位の所まで来て吠えるのよ。ビビって凍りつきました。 ゆ、許して〜。遠くで飼い主のおじさんが犬を呼び戻すまで、真剣に吠え続けてくれました。
 
 やっとの思いで到着。山肌の下の所にモスクが見え、上の方には城のような物が見えます。まず、モスクへ。 モスクのなかは何もなくただの荒れ小屋。ミナレット(尖塔)が付属していて登れます。 城の方は、殆ど瓦礫と化していまして道もありません。でも、折角なので道なき道をよじ登って行こうとしたのですが、 風が非常に強くがれ場を登るのに危険を感じて断念。実際の所、城まで行けるのか不明です。
 モスクからの眺めは最高。ドーバヤジットの街が一望に出来、平原が広がり雄大な山々をバックにした一大パノラマ。 ただし、方角の問題でアール・ダアは見られません。モスク(城)から降りて、今度は大きなモスクの方へ。

イサクパシャ宮殿写真 実はこれがイサクパシャ宮殿(左写真)でありました。ヨーロッパをまわって来た私は、宮殿と聞くと「壮大&豪華絢爛」を想像したが イサクパシャ宮殿はただの廃墟でした。広さは70X50mくらいの広さ。現在、大修復工事中。宮殿内部は、 ハーレムとかの案内板があったが一見しただけでは何の部屋かは全く判らない。 ただし、イラン・イラク戦争当時イラン軍が炊事に使ったと言われる部屋だけは黒く煤けているのですぐに判った。 ドーバヤジットは国境から40kmも離れている上に軍事基地も近いのにイラン軍が侵入していてもトルコ軍は黙って見ていたのでしょうか? 国際紛争は難しいですね。

 イサクパシャから帰りホテルで休憩。次はノアの箱舟とメチュル・ホールである。これらはタクシーで行くしか手段がありません。 往復80km。トルコではガソリン40円/リッタ。車の燃費が8km/リッタとして人件費を入れても30万TL(600円)と 勝手な計算をして、いざタクシー乗り場へ。
 
 最初のタクシーは、なんと100万TL(2000円)を要求。私が30万TLと言うと、話にならん、あっちへ行けと一蹴されてしまった。 次のタクシーは、70万TL、私が30万TL。これまた駄目。こうなったら奮発し50万TL(1000円)出すことにする。 3台目のタクシーは、最初50万TLでも駄目と言っていたが私が帰るそぶりをすると「50万TLで良いから乗れ」となった。 まず、ガソリンスタンドへ直行。50万TL分のガソリンを入れ、私がお金を払う。
 タクシーは一路メチュル・ホールへ疾走する。途中、運ちゃんは「50万TLでは全然儲けにならない。」とトルコ語と身ぶり手ぶりでしきりに 言っていた。道すがら色々話しかけてくれるのは良いが日本語と少しの英語しか判らない私にはチンプンカンプン。 タクシーは一応フィアットだが超オンボロでガタガタ音をたてている。時速100kmだとこんなものかな。車内は、トルコミュージック、ガンガン うるさいです。約30分の疾走後、メチュル・ホールへ到着。隕石のクレータなので月のクレータのように平たく広いやつを想像していたが、 どう見ても地下鉄工事の失敗で地面が陥没した穴にしか見えなかった。 穴はかなり深い。バイブルによれば60mあるらしい。少しがっかりしつつも、お約束の記念写真。 運ちゃんも「フォト・フォト。アドレス」である。
 
 次は、ノアの箱舟だ。と運ちゃんに言ったが要領を得ない。後で判ったのだがノアの箱舟を知らなかったようである。
タクシーは何故かドーバヤジットの街に戻ってしまう。ノアの箱舟は街とメチュル・ホールとの間にある筈。??? 街の中まで来てガス欠でエンジンストップ。ここで始めて燃費が8kmじゃなく、もっと悪い事(4km以下)に気付く。 なんとかエンジンを回し、ガソリンスタンドへ行く。運ちゃんが「15万TL払え」と言う。まあ、ノアの箱舟を見るためには仕方がないと思い金を払う。 なんと、運ちゃんはそのまま帰ろうとする。私は「ノアの箱舟とメチュル・ホール」と必死で何度も言うと”メチュル”なるバス会社のオフィスまで連れていく。 メチュルじゃない!なめとんのか!でも仕方ないのでオフィスで「ノアの箱舟」と叫び続ける私でした。 何となく、皆さんノアの箱舟を知らないみたいであります。何だか変な展開になってきたが、本日はもう予定がなくヒマなので、このまま”ノアの箱舟”を続けることにした。 あまりしつこく言うので、私を乗せてまたまたガソリンスタンドに。私が「お金はもう払わない!」ときっぱり言うと運ちゃんみずから「ポリスへ」と言い出したので 「望むところだ!」とポリスへ。楽しい経験が出来そうです。このあたりから私は日本語でガンガン話し出す。

 ポリスでは「タクシーの運ちゃんがノアの箱舟へ連れて行ってくれない!」と苦情を言ったが、 「50万TLでメチュル・ホールへ行ったのならGood Price だよ」と言われる始末。トルコ語が判らない私は話をうやむやにされ一度は外に出る。 運ちゃんが”さよなら”をしようとするのでNo!と引き留め「ノアの箱舟へ連れていけ!」と言う。私も相当無茶を言っている。 運ちゃんがまたまたガソリンスタンドへ行く。私はお金を払わない。堂々巡りの始まり。ノアの箱舟へ行くのは諦め、最初の約束の50万TLにすべく、 後で払った15万TLの回収に作戦変更。運ちゃんはポケットを見せてお金無い。
私「じゃあ、ガソリンで良いから現物で返せ」
運ちゃん「お前、これ飲むのか?」
私「お〜、飲んだろうじゃないか!」
もう、ムチャクチャですな。またまたポリスへ行こうとなります。合計3回行きました。
 
 今度は先程と違い、英語の判る格上のポリスマン登場。私が下手な英語で 「メチュル・ホールとノアの箱舟で50万TLと約束し、更に追加で15万TLも払ったのに ノアの箱舟に連れて行ってくれない」と苦情。ポリスと運ちゃんの会話を聞いていて判ったのだが やはり運ちゃんノアの箱舟を知らなかった。ポリスは場所を説明し始める。ポリスは私に対して 「途中にあるのだから見ただろう」と言うが、山が続いて岩だらけの景色の場所なのだから判るはずが無い。 「見ていない!」ときっぱり。我ながらいい根性です。見たのかもしれないけどね。 結局ポリスも困って「何が問題なんだ。安いお金でメチュル・ホールまで行ったじゃないか」と言われます。 たじたじ。でも負けてはいけません。私としては、ノアの箱舟はもういいから最初の約束通り50万TLにして 15万TL返して!と主張する。
 
 ポリスマンちょっと考える。「ふんふん、そうだね」って事になり、「運ちゃんに15万TL返せ」と言って下さいました。 お金を持っていない筈の運ちゃんでしたが、ズボンのポケットからお金を出しシブシブ15万TL払ってくれた。 ご愁傷様。
 
 大揉めにもめ1時間。大金15万TLが返ってきました。 今後の日本人ツーリストのために心を鬼にして頑張りました。 15万TLは300円です。私を乗せたばかりにガソリン代にもならなかったクルドの運ちゃんには大変変申し訳なく思います。 写真送ってあげるから許してね。

 

 
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