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寧夏回族自治区地図
固原 地図
固原市(こげん し、中国語簡体字/繁体字:固原、ピンイン(拼音):Gùyuán(グーユェン)、英語:Guyuan City)は、かつて西海固(中国語:西海固、ピンイン:xīhǎigù、小児経(アラビア文字を組み合わせて、中国語の発音を表す表音文字):قُيُوًا شِ
、英語:Xihaigu)または大原(大原)と呼ばれていました。中華人民共和国・西北地方(中国北西部)寧夏回族自治区南部に位置する地級市です。同自治区の最南端に位置し、東、南、真西は甘粛省と接し、北は中衛市です。また、中国で最も有名な十大石窟の一つである須弥山石窟(Mount Sumeru Grottoes)もここにあります。2018年末現在、固原の人口は 112万4200人(2007年時点では人口 1,455,200人)、面積 14,412.83平方キロメートル(5,564.82平方マイル)、標高 1,777メートル(5,830フィート)、北緯 36度00分36秒 東経 106度15分25秒です。
固原市は下位行政区画として 1市轄区・4県を管轄しています。市轄区は原州区(Yuanzhou District)、県は西吉県・隆徳県・涇源県・彭陽県があります。市政府所在地は原州区です。
固原は寧夏最古の都市であり、紀元前 114年に安定郡(Anding Commandery)の首都高平(Gaoping)として築かれました。北方シルクロードの中継地点でもありました。
戦国時代、固原は秦(後の秦王朝)の領土でした。この都市の名称は明朝(1452年)に遡ります。歴史的に交通の要衝であったため、固原は中国兵が西北の少数民族との戦闘に備えて訓練を行う戦門でした。唐の時代には、中央アジアからの商人の多くがこの門を通り、唐の都・長安へと向かいました。
「元朝史」の「始祖伝」によると、チンギス・ハンは西夏王朝との 20年にわたる戦争の末、1227年に固原の六盤山で亡くなったとされています。
鐘楼を含む古代都市の遺跡の大部分は、1970年代に防空壕の建設のために破壊され、旧市街の城壁の一部のみが残っています。
固原市 イメージ(須弥山石窟)
固原市の観光名所としては、須彌山石窟、開城遺址、長城—秦長城遺址、将台堡革命舊址、頁河子遺址、固原古城遺址、大営城址、固原北朝隋唐墓地などがあります。
固原市のホテルは、固原华祺伯爵饭店、固原賓館、固原瑞豊国際飯店、維也納3好酒店(六盤楽園店)、漢庭酒店、勝豊仮日酒店、正祥国際飯店、勝豊仮日酒店、固原万和大飯店、君宜商務酒店などがあります。
寧夏回族自治区における固原の位置が判る地図
地図サイズ:480ピクセル X 640ピクセル
固原への交通アクセスは、飛行機では固原六盤山空港、鉄道では宝中線(陝西省宝鶏市~甘粛省平涼市~中衛市)、道路では G309国道があります。
陝西省西安から固原まで飛行機で 1時間5分(直行便、1~2便/日)です。銀川から固原まで飛行機で 40分(直行便、1便/日)、銀川から呉忠を経由して固原まで車で 3時間35分(南へ道なりで 325km)、呉忠から車で 2時間45分(南へ道なりで 260km)です。固原から甘粛省平涼市まで車で 1時間25分(南東へ道なりで 95km)です。
固原地図(Google Map)
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