ガズィアンテプ(トルコ語:Gaziantep or Gazi Antep)は、歴史的には「アインタブ(Aintab)」と呼ばれ、現在でも非公式には「アンテプ (Antep)」と呼ばれているトルコ共和国中南部の主要都市です。トルコ南東部南東アナトリア地方の最西端に位置し、一部は地中海地域にまたがるガズィアンテプ県の県都(県庁所在地)です。ガズィアンテプの人口は 1,721,475人(2019年12月31日推計、2014年の人口 1,556,381人)、トルコ国内では 6番目に人口の多い都市です。面積 2,960平方キロメートル、北緯 37度04分 東経 37度23分です。アダナの東約 185キロメートル、シリアのアレッポの北約 97キロメートルに位置し、サジュル川沿いにあります。
この都市は古代アンティオキア・アド・タウルム(Antiochia ad Taurum)の跡地に位置していたと考えられており、古代ゼウグマ(Zeugma、古代ヘレニズム時代のギリシャ植民都市、ローマ帝国時代の都市コンマゲネ(Commagene)、ユーフラテス川に架けられていた船橋「ゼウグマ」が都市名の由来)の近くにあります。ビザンチン帝国支配下にあったこの都市がセルジューク朝の支配下に入った後、この地域はアルメニアの軍閥によって統治されました。1098年には十字軍国家エデッサ伯領の一部となりましましたが、コグ・ヴァシルなどのアルメニア人によって統治され続けました。
アインタブは 14世紀に要塞が集落となり、マムルーク朝、ドゥルカディル朝、イルハン朝の間で激しい争奪戦が繰り広げられたことで、その重要性を増しました。1400年にはティムール朝、1420年にはアク・コユンル朝に包囲されました。ドゥルカディル朝支配下にあったこの都市は、1516年のマルジュ・ダービクの戦い(Battle of Marj Dabiq、1516年8月24日にシリア北部ハラーブ近郊マルジュ・ダービク(ダービク平原)で行われたオスマン帝国とマムルーク朝の戦い)の直前にオスマン帝国の手に落ちました。
2024年国勢調査時点で、ガズィアンテプ県(首都圏)の人口は 2,193,363人で、そのうち 1,835,508人がシャヒンベイとシェヒトカミルの 2つの都市区(3つの都市区のうち)からなる首都圏に居住しています。オウゼリは都市圏ではないためです。オウゼリはトルコで 6番目に人口の多い都市です。ガジアンテプは多様性に富んだ都市で、主にトルコ系住民が居住し、少数派のクルド人とシリア難民も含まれています。歴史的には、トルクメン人、アルメニア人、ユダヤ人、その他多くの民族が暮らしていました。
2023年2月、この都市はトルコ・シリア地震によって大きな被害を受けました。
ガズィアンテプ イメージ(ガズィアンテプ城)
ガズィアンテプの観光名所としては、ゼウグマ・モザイク博物館(Zeugma Mosaic Museum、世界最大のモザイク博物館)、ガズィアンテプ城、メドゥーサ・ガラス工芸博物館、エミネ・ギョユシュ厨房博物館(Gaziantep Mutfak Müzesi)、ガズィアンテプ考古学博物館(Gaziantep Archeology Museum)、アタチュルク記念博物館(Atatürk Anı Müzesi)、ガズィアンテプ戦争博物館(Gaziantep War Museum)、ガズィアンテプ玩具博物館(Gaziantep Museum of Toys and Games)、ガズィアンテプ文化歴史博物館(Gaziantep Kultur Tarihi Muzesi)、ガズィアンテプ動物園(Gaziantep Museum of Zoology)、シルヴァニ・モスク(Şirvani Mosque)、インデペンデンス・モスク(Independence Mosque)、ウル・ジャーミイ(Ulu Cami、モスク)、ハンダンベイ・ジャーミイ(Handanbey Cami)、アティルラ・シネル・ジャーミイ(Atilla Çiner Cami)などがあります。