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プノンペン


 プノンペン(英語/フランス語:Phnom Penh、カンボジア語:ភ្នំពេញ )は、カンボジアの首都であり、最も人口の多い都市です。1865年以来、カンボジアがフランス保護領だった頃から国の首都であり、国の主要都市、そして政治、経済、産業、文化の中心地へと成長しました。プノンペンの名称は、仏教寺院であるワット・プノンと、この都市の創設者であるプノン夫人に由来しています。プノンペンはトンレサップ川とメコン川の合流点に位置し、バサック川の源流となっています。また、プノンペンは王宮を本拠地とするカンボジアの王室の所在地でもあります。なお、プノンペンが首都になる前は、ウドン(Oudong、プノンペンの北西 40キロメートル)がカンボジアの首都(1618年~1866年)でした。プノンペンの人口は 2,352,851人(2019年国勢調査)、自治体面積 679平方キロメートル(262平方マイル)、都市圏面積 3,858平方キロメートル(1,490平方マイル)、海抜 11.9メートル(39.0フィート)、北緯 11度34分10秒 東経 104度55分16秒です。
 1372年に建設されたプノンペンは、アンコール王朝の陥落後、1434年にアンコール・トムに代わりクメール国家の首都となり、1497年までその地位を維持しました。何度か放棄された後、1865年にノロドム王によって再建されました。フランス植民地時代(1863年にフランス帝国の保護国、1887年からフランス領インドシナの一部)に首都としての地位を回復しました。カンボジア独立期には投資と近代化が進み、アールデコ様式の作品を含む20世紀初頭のフランス植民地時代の建築物群やニュークメール様式の建築から「アジアの真珠」という異名を得ました。1960年代から 1970年代にかけては、内戦やベトナム戦争中の米軍の爆撃から逃れてきた難民の増加に伴い、プノンペンの人口は急増しました。1975年にはクメール・ルージュによってプノンペンの全住民が強制的に避難させられ、迫害、強制労働、ジェノサイドに見舞われました。民主カンボジア時代、プノンペンは 1979年にベトナムの支援を受けた軍が占領するまで、ほぼ無人地帯です。近代に入り、国際投資と援助の支援を受けて復興とインフラ整備が進められました。2019年には、カンボジア人口の約 14%にあたる200万人以上がプノンペンに居住しています。
 この都市はかつて繊維、医薬品、機械製造、精米などの加工センターとして機能していました。しかし、その主な資産は文化です。高等教育機関には、工学、美術、技術、農業科学の学校を備えたプノンペン王立大学(Royal University of Phnom Penh、1960年に王立クメール大学として設立)があり、郊外のチャムカール・ダウン(Chamkar Daung)にあります。プノンペンには、王立農業科学大学とプレック・リープ農業学校もありました。プノンペンは、シェムリアップシアヌークビルとともに、カンボジアの重要な国際的および国内の観光地です。大通りには、植民地時代の建物が数多く残っています。
 プノンペン大都市圏には、近隣のタクマウ市とカンダール州の一部の地区が含まれます。プノンペンはかつて、繊維、医薬品、機械製造、精米などの加工の中心地として機能していました。また、多くの著名な学校、大学、短期大学が立地しています。文化施設やイベントの開催地として、国内外の観光拠点となっています。
 プノンペンはこれまで数多くの地域および国際イベントを開催しており、中でも特に注目すべきは、2002年、2012年、2022年のASEAN首脳会議、第32回東南アジア競技大会、第12回ASEANパラ競技大会です。プノンペンは 2031年にアジアユースゲームズを開催するカンボジア初の都市、そして東南アジアで 2番目の都市となります。
 
プノンペン イメージ(カンボジア王宮(Royal Palace of Cambodia))
プノンペン
 
 プノンペン(直訳すると「ペンの丘」)の名は、現在のワット・プノン(直訳すると「丘の寺院」)、もしくは東南アジアに西暦 1世紀から 7世紀まで存在し、現在のカンボジア王朝の前身となった扶南国(Funan、西暦 50年~627年、メコン川下流域(現在のカンボジア・ベトナム南部)からチャオプラヤー・デルタにかけて栄えたヒンドゥー教・仏教を国教とした古代国家)に由来します。伝説によると、1372年、裕福な未亡人ペンが嵐の後、トンレサップ川を流れてくるコキの木を発見したと云われ、木の中にはブロンズの仏像 4体とヴィシュヌ神の石像 1体がありました。ペンは村人に自宅の北東にある丘を高くするよう命じ、コキの木を使って丘の上に寺院を建て、4体の仏像を安置しました。また、少し低い位置にヴィシュヌ神の祠も建てました。この寺院はワット・プノン・ダウン・ペンとして知られるようになり、現在は高さ 27メートル(89フィート)の小高い丘であるワット・プノンとして知られています。
 プノンペンの以前の正式名称はクロン・チャクトムク・セレイ・モンコン(Krong Chaktomuk Serei Mongkol、クメール語:ក្រុងចតុមុខសិរីមង្គល 、直訳すると「ブラフマーの顔の都市」)、略称はクロン・チャクトムク(Krong Chaktomuk、直訳:「4つの顔の都市」)。クロン・チャクトムクは、ポンヘア・ヤット王(King Ponhea Yat)によって与えられた名で、正式名はクロン・チャクトムク・モンコル・サカル・カンプチア・ティパデイ・セレイ・テアクリーク・バヴァール・インタバット・ボレイ・ロート・リーチ・セイマ・モハ・ノコール(Krong Chaktomuk Mongkol Sakal Kampuchea Thipadei Serei Theakreak Bavar Intabat Borei Roat Reach Seima Moha Nokor 、クメール語:ក្រុងចតុមុខមង្គលសកលកម្ពុជាធិបតី សិរីធរបវរឥន្ទបត្តបុរី រដ្ឋរាជសីមាមហានគរ )です。これは大まかに訳すと、「クメール王国の最高指導者であり、また偉大な王国の神インドラの難攻不落の都市であるクメール王国に幸福と成功をもたらす 4つの川の場所」という意味です。
 
カンボジアにおけるプノンペンの場所が判る地図
プノンペン地図
地図サイズ:480ピクセル X 370ピクセル
 
 2025年9月9日に開港したテチョ国際空港は、カンボジアで最大かつ最も利用者数の多い空港です。プノンペンの南20キロメートルに位置しています。プノンペン国際空港に代わり、市内の主要航空ハブとなりました。空港はタクシー、電車、シャトルバスで市内中心部とつながっています。カンボジアの国営航空会社であるカンボジア・アンコール・エア(2025年にエア・カンボジアに改組)は 2009年に設立され、プノンペンに本社を置いており、同市に主要ハブ空港を置いているほか、シェムリアップ・アンコール国際空港にもハブ空港があります。エールフランスはかつてパリ・シャルル・ド・ゴール空港からプノンペンへの便を運航していましたが、この便は現在運休となっています。現在、カタール航空がホーチミン・シティ(サイゴン)経由でプノンペンを往復しています。タクシー、ピックアップトラック、ミニバスが市内から全国各地へ運行していますが、より安価で快適なバスに急速に取って代わられつつあります。プノンペンには鉄道サービスもあります。プノンペン公共交通機関やGSTエクスプレスなど多くのバス会社があり、シアヌークビル、カンポンチュナン、ウドン、タケオなど、ほとんどの地方都市へ運行しています。プノンペン・ソリヤ交通社は、国道沿いの地方都市やホーチミン・シティへのバスサービスを提供しています。ジャイアント・アイビスもプノンペンを拠点とするバス会社で、シアヌークビル、カンポット、シェムリアップ、ホーチミン・シティへ運行しており、無料Wi-Fi、エアコン完備で、料金も手頃です。
 プノンペンはカンボジアの主要な淡水港であり、メコン川沿いの主要港です。ベトナムのメ​​コン川の水路を経由して、290キロメートル離れた南シナ海とつながっています。
 
プノンペン地図(Map of Phnom Penh, Cambodia)
 
プノンペン リンク集
 ・ プノンペン特別市:公式サイト(日本語)です。サイト内には、プノンペンの概要、プノンペン地図、歴史、祝祭日情報、行政機関と病院、ニュース、観光名所、マーケットとパゴダなどの情報があります。
 ・ プノンペンの観光名所:カンボジア政府観光局の公式サイト(日本語)です。独立記念塔、ワット・プノン、トゥールスレン博物館、オールドマーケット、王宮、シルバーバコダ、国立博物館の観光案内があります。
 

 
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