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ミャンマー15日間

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初日:入国2日目:ヤンゴン3日目:ヤンゴン4日目:マンダレー5日目:ミングォン6日目:マンダレー
7日目:インワ8日目:バガン9日目:バガン10日目:バガン11日目:ポッパ山12日目:バガン
13日目:バゴー14日目:バゴー最終日:出国
 

初日(2004/09/06):ミャンマー入国:ヤンゴン
 
 初日のメインイベントは入国です。きっと厳しい入国審査に違いない。なんと言っても軍事独裁社会主義国。
ヘンな期待に胸をふくらませつつ、我がバンコクエアウェイズ ATR72-200ターボプロップ機は、こざっぱりしたヤンゴン国際空港に到着。飛行機から空港ビルまではバス、日本製中古バスである。路線バスだったらしく降車ブザー付き。このブザー活きているのか?と疑問に思い押してみた。活きていた。あの紫色の光と共に「降ります。」って表示も出た。当然バスは停まることなく空港ビルへ。
 
 期待に反して、入国審査は質問も無くフリーパス。他の入国者もスルスルと通過。次は、税関。2000ドル以上の外貨所持者は申告が必要。私は該当者である。事前に細かな明細を作っておかなかったので税関前で貴重品袋を広げて数えだす始末、とんでもなく危ないかもしれない。こんなバカは私だけである、他の人は申告もせずスルスル。モタモタしていたので、税関氏があきれたのか「日本円はいいから、ドルだけ書きな」と。。。ふ〜ん、それで良いのか。
 
 無事、税関も終了。いよいよ、ミャンマー入国。悪名高かった、強制両替は無くなっている。まぁ、15日間個人旅行だから300ドルでも200ドルでも強制両替OKなんですがね。紙幣集めが趣味なので外貨兌換券(FEC)を手にしたかったよ。税関を出てすぐの所に両替所があったが、如何にもレートが悪そう、パス。ホテルまでは、ドルで行くことに決めている、両替所を過ぎ、カウンターが2・3個ある。おねーさんが達が呼んでいる、ここでタクシー斡旋、両替をやっていた。可愛くて、素直そうなおねーさんカウンターへ直行。言い値は5ドル、値切りまくって3ドル(空港〜安ホテルのあるスレーパゴダ周辺まで)。空港からの道はとても綺麗。町中は、笑ってしまうくらい日本製中古バス。
 

2日目(2004/09/07):ヤンゴン
 
 今日は、シュエダゴゥンパゴダがメイン。マンダレー行きのバスチケットも買いに行く。地図を見るとホテルからシュエダゴゥンパゴダまで4Kmもない、ヤンゴン市内見物がてらにいつものように歩く。途中にヤンゴン中央駅があるので見物。記念に切符でも買おうかと駅構内に入ったが「字が読めないので諦める」カワイイ丸文字。いつもなら、適当に聞いて廻るのだが、何故か「まぁ、いいかぁ」とノンビリ・適当気分。
駅前(スタジアムの所)にバス会社のオフィス(Leo Express)があり、明日の夜行バスのチケットを買う。ヤンゴン->マンダレー夜行バスで10ドル。外人料金で高いですね。値切ってみたけどダメ「イヤなら買わなくても良いよ」って感じです。
 しばらく歩くと向こうの丘に黄金のパゴタ。あれが、シュエダゴゥンパゴダ。交差点を渡らなきゃ行けないが、ロータリになっており信号機なんて無い!車はビュンビュン。私は草履履きだから動きが遅い、危険である。現地の人に付いていこうと必死で走るも、みち半ばで挫折(言葉の通り、道路の中央で立ちすくむ)。どこからか正義の味方?の交通整理のお巡りさんが出てきて車を止めてくれる、感謝。やっと渡り終え、シュエダゴゥンパゴダの麓まで行く。
シュエダゴゥンパゴダ  東西南北に参道があり、私は東口から入る。門前町になっており、お寺関係のお店がたくさんある。参道入り口の所で、ビニール袋売りがたくさん。彼女らには目もくれず入り口へ。草履をリュックにくくりつけて参道の店を冷やかしながら(仏像を彫っている店等々)階段を上る。登り切ったところで、お姉さんに声を掛けられ左脇のカウンターに連れ込まれる。ノートに氏名を書かされ5ドル徴収。胸に丸シールをペタ。境内に入ると中央に眩いばかり(晴天だからね)の黄金のパゴダ。善男善女のミャンマー人がたくさん、信心深くお祈りしている。黄金のパゴダの周りには多数の祠やお堂がある。見て回るだけで3時間くらいかかった。裸足なので、出来るだけ日陰を歩く。たまに濡れているところがあってちょっと危険、ツルツル。最後は「学生運動の記念碑」に「ミャンマーが早く民主化しますように」とお祈りをした。
 

3日目(2004/09/08):ヤンゴン
 
 今夜は、マンダレーへのバス移動。昼間は国立博物館。まだまだモンスーン?朝からドシャブリ。ミャンマーのホテルって朝食付き、7ドルでシングル・エアコン・シャワー・タオル付き、なかなかお手頃。ちょっと贅沢して、国立博物館までタクシーで行く。
 立派な5階建てビルである。博物館と言うよりは、お役所のように見える。道路に面したゲートには守衛所(武装した人いる)があって「勝手に入ったらダメよ」的なオーラを発している。なので、一応「Museum?」って聞いて入った。入場料は5ドル。展示品はそれなりに豊富、客はパラパラ。各展示室には、係りの人が座っている。みんな真面目に何か勉強していた。展示品の前で説明の練習をしている人もいた、ガイドさん?
 お揃いのTシャツで「日本・ミャンマー友好なんとか」って名札付きの日本人学生の団体さんが来ていましたね。ちょっとうるさかったよ。
 この博物館で印象に残ったこと、絵画展示。近代西洋画、日本で言うと明治期の洋画。画風も同じでしたね。なんだか連帯感を持ちました。絵の保存状態が悪かった、高温多湿の国だからね、博物館は涼しいですよ。
 
 ヤンゴン市内にはたくさんの日本製中古バスが市民の足として活躍していた。日本を含めて、これだけの種類の路線バス/観光バスを一度に見られるのはヤンゴンだけだと思う。
バスを見ていて「ハテナ」と思った。漢字自体が、日本製を示しているので消さずにそのままにしているようであるが、何故かドアの所の「自動扉」だけはどのバスもペンキで塗りつぶしてある。不思議です。
ヒマだから、何十台もバスを見て観察。ひらめいた、そうだったのね〜。答えは「扉じゃないから」です。ミャンマーは、日本と違い車は右側通行。車体の左側は乗降口には使えない。 なので、車体の右側にわざわざ扉をつけている。この文章で「日本製中古バス」と書いたが正確には「改造日本製中古バス」である。もともとの左側の自動扉は使えないように留め金で固定されているうえに、車内でも扉のステップに入れないようにロープで仕切られている。
それにしてもである、日本語を読めない人が大多数なのにワザワザ「自動扉」って字を消す必要があるのだろうか???
日本製バスが大半であるが、ハングル文字が書かれた韓国製バス、歓迎光臨と書かれたバス(たぶん台湾の中古)も見受けられた。今後は日本製が減り、これらの国の中古が増えるのかも。私の心配「MMCのバスも多かったのですが安全ですか?」
 

4日目(2004/09/09):マンダレー
 
マンダレー行きバス  夜行バスは名鉄バス(名古屋空港へのシャトルバス)でした。多少年季は入っていますが難なくマンダレーに到着。道は主要道路でまともな道だった。途中、数カ所で検問。
到着したバスセンターは街から離れているようである。早朝で頭がボッーとしている。タクシーの客引きが寄ってくる。なんだか高い。値切って2000チャット、これでもぼってるんだろうな〜。出発する段談になると、3人くらい乗ってくる、相乗りって感じではない、運ちゃんの知り合いがただ乗り だと思う。きっと文句を言っても無駄。
 
「ミャンマーでは怒ってはいけない」 らしいので少々のことでは文句を言わないようにした。激しい感情を表に出すのは恥ずかしいことらしい。
 ホテルは7ドル。4泊するからとちょっと値切りました。マンダレーで気づいたのだが、他の東南アジア諸国同様、この国も経済は華僑が握っているようですね。私の泊まったホテルもそうでした。
 
 ホテルで両替しようと思ったら「やってないよ〜」近くの「セブンスターなんたらかんたらへ行け」で、セブンスター何とかを目指して街へ出る。う〜ん、見つからん。ガイドブックを見ると「公認両替所」が近くにあるみたいで行ってみるが、無い。それではと銀行に行ってみる「うちの銀行ではやっていない、**銀行へ行け」2カ所に行ったが結局銀行でも両替してくれない。「金行(金製品ショップ)」に行くが、ここでもダメ。 今度は「高級時計店」ここでもダメ。どこで両替できるの???ハッキリいって疲れた。もう、ホテルへ帰る。道すがら(ホテルの近くで)「セブンスター タイヤ」って自動車修理屋があった。「ここかホテルで聞いたのは!」なんかヘンだけど「エクスチェンジ プリーズ ダラー」って聞いてみた。働いている人は???って顔。そりゃそうだ、自動車修理屋でドルを両替してくれって外人が来たんだもんね。私、弱気になって「セブンスター・・・」と言いながらドル札を見せる。暫くして、従業員笑い出して、何か言う。ワカラナイ。 従業員さんが着いて来いって感じで道に出る。ホテルの方へ歩き出し、ココって仕草。そう、そこは「セブンスタートラベル」七星旅行社と漢字の看板まで出ている。サンキュー。で、旅行社に入ってお願いする。ホントは、両替やっていないみたい。得意の「目をウルウル」させてお願いして両替成功。
 

5日目(2004/09/10):ミングォン
 
ミングォンパゴダ  マンダレー市内の観光は置いておいて、今日はミングォンへ行く。完成すれば世界最大のパゴダ(左写真)となったであろう、建設途中(土台は出来ている)で放棄されたパゴダで有名なところである。マンダレーからエヤワディー川を10Kmくらいボートで溯ったところにある。ボートからは、小舟で川を行き来する近郊の人々や川岸の村々が見られる。増水期なので今にも沈みそうな村もある。対岸の低い峰々に金色に輝くパゴダが霞んで見える。ボートは外国人用ツーリストボート(1500チャット)、1時間くらいでミングォンへ到着。船着き場には、ボートの到着を待つガイド・物売りが10人くらい。ミャンマー人はあまりしつこくないので、スルスルかわして(結局、同乗の白人達がターゲットになった)ミングォンパゴダを目指す。デカイ。
 右脇にパゴダの上までの階段がある。登ろうとすると下の方でおじさんが呼んでいる。降りていくと「裸足になりなさい」だとさ。マジ?裸足で登るの???そう、ありがたいパゴダ(中には仏像もある)の上に上がるんだから当然か。。。でも、小石だらけ。柔肌なんだけどね。足裏健康法じゃね。上に登ると360°のパノラマ、良い景色、しばし休憩。基本的に崩れかけのパゴダだから「デコボコ+小石だらけ」で歩きにくい。ちょっと危険な感じ。
 ここでは他に「ミングォンの鐘」「シンピューメン・パゴダ」がある。ミングォンパゴダの前にある崩れたライオン座像の良かった。昔は、ミングォンパゴダからライオン座像そしてエヤワディー川へと直線の参道があったようだ。ライオン座像は日本の神社の狛犬のような存在?
 パゴダを見ながらずんずん行くとミングォン村へ行き着いた。ただの村である。素朴で良かった。高床式ですね。戻っていくと、外人さん達が現地の人(物売りおばさん)を引き連れてぞろぞろ(大名行列みたい)歩いてる。ちょっと羨ましかったりする。
 船着き場に戻って、子供と遊んだり、牛を眺めたり、ボンヤリする。お店のおじさんが、ポテトチップスくれた。いい人が多い。
 

6日目(2004/09/11):マンダレー
 
マンダレーヒルの仏像  今日は、マンダレー見物。マンダレーと言えば、マンダレーヒル。マンダレーの丘。宿泊しているボナンザホテル(7ドル)から約5Kmあるので、奮発してサイカー(1000チャット)に乗る。サイカーは、サイドカー付き自転車。お客はサイドカーに乗る、雨が降ると大きめの傘をお客が持って運転手さんと相合い傘となる、乗り心地は良くない(=道が悪いから)。マンダレーヒルは、標高236mの丘。麓から屋根付きの参道(階段)が頂上まで延びています。ここも裸足になります。参道の途中は、お店がたくさん。お堂もたくさんある。左写真は、仏陀が王宮方向を指さしています。社会主義国家なので、仏陀も遠くを指さしている?違うか〜。頂上まで一時間弱。まあ、疲れる。頂上は、お堂+お店がひしめき合う。展望台にもなっている。エヤワディー川が見渡せて気持ちよい。
 
 マンダレーヒルの麓近辺には、いろいろなパゴダがある。とあるパゴダで、お姉さんに呼び止められる。お姉さん「私、日本行きたい。知り合いが日本にいる。手紙を日本に届けて、ミャンマーから出すと届かない、タイからで良いから出して」私「いや、出来ません」。お姉さんはしつこく言ってくるが無論断る。私がひどい人のように言う。ちょっと、ムッとしてしまう。海外で知らない人から物を受け取るほど危険なことはない、無視無視。
 マンダレーヒルで入場料の徴収がなかったので、ラッキーと思っていたがこのパゴダの出口で呼び止められる。しらばっくれてみたが、甘くない。結局マンダレー入域料(10ドル)を支払う。なお、マンダレー入域料にはAmarapura,Innwa,Pinya,Palaikへの入域料も含まれている。マンダレーヒル周辺では、シュエナンドー僧院が良かった。昔ながらの木造(チーク材)建築で内部は薄暗かったが結構幻想的。
 
 満足して、次は旧王宮。ミャンマー最後の王朝の宮殿があったところである。1885年イギリスにより占領されて、イギリス軍の駐屯地になり、第2次大戦中は日本軍の駐屯地、戦後はミャンマー国軍の駐屯地である。現在も国軍の駐屯地。旧王宮エリアは、お堀に囲まれており一辺2Kmとデカイ。観光客が入れるのは、西側入り口のみ。入り口でチェックを受けて入れて貰う。かなり広い王宮であるが駐屯地なので、観光客が自由に歩けるのは入り口から中央にある宮殿までの道(約1Km)だけ。宮殿は、第2次大戦中の爆撃で全て消失したので再建した物。よく見ると安普請(特に屋根)。軍人さんを観察できたのが良かったかな。王宮では、貸衣装がありました。
 

7日目(2004/09/12):インワ
 
 今日は、インワへ行く。マンダレーからトラックバス(200チャット)で90分、渡し船でインワへ渡る事になる。トラックバスは、軽トラックの荷台にベンチを置いて幌をかぶせた物、東南アジアによくある奴です。人間満載。女性・子供はベンチに座り、男性は座らず荷台の乗り降り用ステップに立って車体にしがみつくのがルールのようだが、私(おとこ)は気にせずベンチに座る。
インワの渡し船  トラックバスで90分はきつい。インワ鉄橋の手前でおろして貰う、この近くに渡し船があるはずだが、見あたらない。聞くと「この道を行け」。なにやら川に突き出た一本道がある。バイクが声を掛けてくる。乗らないで、テクテク歩く、1Km。桟橋みたいに川に1Km道が突き出ているのである。川幅(河原)が広いのである。ようやく、船着き場。おじさんに値段を聞く。往復1000チャット。高い!だって向こう岸に行くだけよ。ミャンマー旅行で初めての、ぼったクリ運賃に遭遇。値切ったけどだめ、仕方なく払う。渡し船は、ボロイ。2艘のボートを横に並べたエンジン付き船で、自転車・バイクも載せます。10分くらいの船旅で、インワへ到着。
 
インワの斜塔  インワは400年間もビルマ族の王都が置かれた地である。が、現在は。。。のどかな田園風景、昔を偲ばせるパゴダ・僧院がポツポツと残っている。エリアは広い。歩いてみて廻るのは無理で、交通手段は馬車。観光にはもってこい。大体3時間くらいで見て回れた。馬車代は1000チャット。馬車は適当に廻ってくれるし、ガイドブックを見て行きたいところを指示してもよい、途中で目に入った遺跡でも気軽に停まってくれる。難点は、道がガタガタ。馬も疲れるようで、2時間もするとダレ気味。鞭が飛ぶ、可哀相かな。
 インワの斜塔(左写真、写真では判りにくいが、傾いています。)に登れば、インワを一望。う〜ん、田園だ。
 

8日目(2004/09/13):バガン
 
 今日は、マンダレー -> バガンのバス移動。ヤンゴンでもそうだったが、バスセンターは市内から離れている。土地が余っているようなのに、何故郊外に作るんじゃ。あと私の希望としては、バスセンター内は、舗装して欲しい。雨でグチャグチャになった道をバスのタイヤが掘り起こすから目も当てられない。バス会社のオフィスがたくさんあって、どこに行けばいいのかワカラナイ。「バガン、バガン」と呪文のように唱える。とあるオフィスに連れ込まれる。一時間待ちくらいでバスがあった。バス代は4200チャット。座席表を見ると、外人とミャンマー人を席分けしているみたいですね。バス時間まで、オフィスで休憩(外人だから特別扱いね)。ビンロウで舌が痺れたおじさんが話しかけてくる。ちゃんと喋ろうね。まぁ、ミャンマー語だから、どのみち判らないけどね。
 バスは当然、日本製中古バス。隣は、東アジア系の東洋人の女の子。しばし観察し、ニホンジンと判断。別段話しかける事もなく、ボッ〜と過ごす。窓が開いているので、ちょっと肌ザム。彼女もそうだったようで、窓を閉めようとするが堅くて閉まらない。日本製とはいえ、中古で過酷な状態で長年走っているので、ガタが来ている。親切な私は、渾身の力を込めて閉めてあげる。閉まってよかった。お礼を言われたので、日本語で「どういたしまして」。彼女驚く。なんでじゃ!
お話をすると、ワシのことをミャンマー人と思っていたとのこと。なんでじゃ!ワシはどちらかと言えば、中国顔で海外では中国人(香港人?)によく間違われるけどね。そもそも、ロンジー(ミャンマー人の腰巻き)はいていないぞ。ちょっと、問いつめた。ヘェヘェと笑ってごまかすんじゃない。途中、昼休憩。食堂でカレーを食らう。インドのそれと違って、ミャンマーカラーはわたし的は美味しい。バガンのちょっと手前で停車、外人だけ降ろされる。ここで、バガン入域料10ドル徴収。入域料を払えば、各パゴダでお金を払うことはないので便利なのだが、10ドルって高くない?バガンクラスだと許せるけど、マンダレーの10ドルは取りすぎ。 お金を払ってバスに乗り、いよいよバガンに入る。バスターミナルに直行かと思うと「外人さんが途中で降り出す」地元の客引きみたいな兄さんも乗ってきてなにやら言っている。外を見るとイーデンモーテル、泊まろうと目星をつけていたゲストハウス。急いで降りる。シングル空いていないらしく、ツイン(エアコン+ホットシャワ)で4ドルがあった。安すぎ、即決ね。でも、値切ってみる、ダメでした。
 

9日目(2004/09/14):バガン
 
バガン  今日は、ポッパ山へ行くはずだったがタクシー・シェア予定の人たちが病気で取りやめ。 と言うことで、バガンのパゴタ巡りにする。世界三大仏教遺跡ですね。全て東南アジアにあるから「上座部(テラワンダー)仏教の世界三大仏教遺跡」と言うのが正しいと私は思う。
 広いエリアに多数のパゴタが点在している。どうやって見て廻るかは、財布と相談してタクシー、馬車、レンタサイクル等何でもござれ。ホテルでは「バシャ、バシャ」と日本語で勧誘が多かったですね。私はホテルのレンタサイクル(500チャット)。道沿いのパゴタだけなら、自転車で充分である。一応アスファルト舗装(晴れていると、砂が道路に積もって滑りやく注意が必要)。脇道にそれたパゴタはドロン道でぬかるんで自転車は大変。
 各パゴタは管理人・自称ガイド・物売り(絵などを売っている)もいて楽しませてくれる。一部のパゴタは上まで登れる(もちろん裸足ね)、雄大なバガンの景色を堪能できる。ずっと向こう(東方)に高層ビルを建てている。完成すればホテルになり、展望ロビーも作るそうな。これが出来ると、全てのパゴタは登れなくなるとの事である。
 

10日目(2004/09/15):バガン
 
 ポッパ山行きのタクシーシェア相手が見つからないので、今日もパゴダ見物。ほぼ、昨日と同じ所を見物する。
 泊まっているイーデンモーテルのロビーには衛星チャンネルのテレビがある。これ、優れ物。NHK−BSが見られる。このゲストハウスは、設備がよくて安いので日本人宿になっている。アメリカ映画も見られる。ミャンマーとは思えない、モザイク無しの成人向けです。ホテルのマネージャーが「夜8時に来い。みんなで見るぞ」って囁く。普通にNHKを見ていると、従業員は嬉しそうにアダルトチャンネルを入れてくれる(昼間でも。ただし外から見えないようにカーテンを引く)。。。私も一緒になってみていた。たぶん同宿の日本人(特に女性達)からはヒンシュクだったでしょうね。
 

11日目(2004/09/16):ポッパ山
 
ポッパ山  ポッパ山行きのタクシーシェア相手が見つからないので、一人でタクシーをチャーター(往復15ドル)する事にした。途中でお酒(ピーナッツ酒?)を造っているお店に入ったりもした。 かなり強い酒(40°くらいありそう)。ピーナッツのお菓子も出される。飲んで・食べたが、何も買わない、すみませんね〜。一時間弱で左写真のタウン・カラッ(いわゆるポッパ山)へ到着。本当のポッパ山は標高1518mでタウン・カラッかも見える。有名な岩山(左写真=タウン・カラッ)はポッパ山の中腹:標高737mです。そそり立つ岩山の上にナッ神(精霊神)のお堂がある。精霊と言っても昔の人間を神格化したもの。ド派手な人間の像がたくさん祀られている。 岩肌の側面に階段があり、頂上まで30分くらい。もちろん裸足です。この岩山には、お猿が住んでいるんですね。参拝客の餌目当てで近付いてきます。最初は怖かったが、餌を与える素振りさえしなければ、問題なし。ナッ神関係のグッズは良いお土産になりそうである。
 
12日目(2004/09/17):バガン
 
 今日は、午後からバゴー行きの夜行バス(5000チャット)である。午前中ヒマなので、またまたパゴタ巡り。レンサタイクル、今まではホテルのを借りていたが今日は向かいのお店で借りる。ホテルより100チャット安い、400チャットで自転車も良く整備されている。イーデンモーテルは宿泊代は安いが、その他(メインは、タクシーとバシャ)で上手く儲けているようである。バガンのパゴタは良い良い。フレスコ画も結構残っているしね。
 
 昼の2時にバスがホテル前まで来るとのことなので、待つが全然来ない。従業員に聞くが要領を得ず「ちょっと遅れているだけ、そのうち来るよ」ってさぁ。ちょっと遅れて?3時くらいにバス到着。昼間の3時に出発してバゴー到着が朝だなんて、ホンマかいな、遅すぎる。結局、バゴーへは直行ではなかった(何故か反対方向の北方向に行く)。
 

13日目(2004/09/18):バゴー
 
 夜も明けやらぬ、4時頃寝ていると、ユラユラ起こされる。どうやらバゴーに着いたようである。降りるのはワシだけ。バスはヤンゴンまで行くのだろう。街は真っ暗、どこに降ろされたかもワカラナイ。幸い?なことに働き者のサイカーがいる。寝ぼけまなこで「ホテル」と言って乗り込む。5分くらいでホテルに到着。Emperor Motel 立派な名前である。即チェックイン出来るとのことで9ドルと高めだったがベットへドタン。寝ようとすると従業員氏がノックする。うるさい。「サイカー代払ってないよ」ってさ。そうそう忘れてた。はい、600チャットだったね。「ゴールデンロックへ行かないか」って誘われる。シェア客を捜しているようである。もちろんOK。エアコン・テレビをつけたまま眠り込むも、暑くなって起きる。時計は7時。エアコンつけたままの筈であるが???切れている。それもブレーカーにも電気は来ていない感じ。まさか停電。そう、それも時間制の計画停電。恐るべし、朝6時〜夕方6時まで停電だとさ。一応ホテルなんだから、自家発電機くらいは付けて欲しい(現に今まで泊まったホテルはそうであった)
 
 8時に一階へ行く。タクシーは来ていた。シェア相手は日本人男性。休暇で一週間のミャンマー旅行とのことである。ドライバーとガイドで一人あたり10ドル払う。タクシーでゴールデンロックまで行くのかと思っていたが、タクシーはキンプンまで。目的地はまだまだ先、遠くの山に金色の岩が見えている。次はトラックに乗る。別料金。客が来るまでトラックは出ないらしい。シーズン外れらしく客は全然いない。ガイド曰く「どれだけ待つかワカラナイよ〜、借り上げて行った方が良いかも、一人4000チャットね」高いが同行氏はその気になっている、しょうがないので借り上げ決定。道は舗装された林道。これで、ゴールデンロックまでと思うのは甘かった。途中の広場で降ろされる。外人はここから歩くことになっている。ただしミャンマー人はトラックを乗り換えて、ゴールデンロック近くまで行ける。何故、外人は歩かされるか!?理由は「ここからのトラックはとても危険だから」歩くと判るが確かに危険である。道幅2mくらい、20度くらいの坂道である。登りは何とかなるかもしれないが、下りはジェットコースターだろう、多分。崖に突っ込んだトラックもあった。まだ使えるらしく、引っ張り上げる作業してましたね。よせばいいのに同行氏、突っ込んだトラックを撮影しようとしている。無神経だよ(たぶん死者・けが人出てるし、情報統制下のミャンマーなんだから)。案の定、警備の警官に制止されている。
ゴールデンロック  歩くこと1時間弱、ハードなハイキングだった。靴を履いてきて正解。やっとの思いでチャイティーヨーパゴダ(ゴールデンロック)へ到着。入山料は6ドル。パゴダの境内は広々。隅の方に目指す、ゴールデンロック。金箔を買って、貼り付ける。
きっと、幸せになれるにちがいない。パゴダではゴールデンロックのブロマイド写真を売っていたので記念に買う、100チャット。バゴダの近くには村があった。ガイドに誘われるまま付いていって見物。数年前に火事で全焼し、今はコンクリート建ての立派な家を建設中である。境内を見て廻り、下山。トラックはやはり借り上げることになった。素直に払うのがイヤなので値切ってみる3000チャットになった。そもそも、見ていると客は少しはいるので一時間も待てば安く行けそう。まぁ一人ならそうなるんだけど、同行氏もいることだから我が儘は言わない。
 

14日目(2004/09/19):バゴー
 
バゴーの市場  今日は、昼から移動しヤンゴンへ戻る予定である。午前中を利用してバゴー見物。あまり期待していなかった、バゴーとても良かった。市場が良かった。どの国でもそうだが市場は、その国の台所事情が見えるし、現地の人々の素顔を垣間見られて楽しい。今回行ったのは「外国人が来るような所じゃない」普通の市場で、おばさん達も写真を撮られてテレたり、逆に気合いが入ったポーズしてくれたり。バゴーと言えば「シュエターリャウン寝釈迦仏(全長55m)」多分ミャンマーで2番目の大きさ。一番はヤンゴン「チャウッターヂパゴダ寝釈迦仏(全長70m)」。どの寝釈迦仏も立派で見応えあり。バゴー広いので(観光ポイントが点在)歩くにはしんどかった。
 
 1時にタクシーだったので、シャワーを浴びていると、ドアをたたく音。まだ12時なんですけどね。仕方ないので急いで荷物をまとめて降りていく。シェアなので何故か遅れて恐縮してしまう。小心者である。ヤンゴンまで5ドル。シェア相手は、またもや日本人で二人ずれ。最後の晩は中級ホテル(ユザナ・ホテル、30ドル)。シェア相手さん達は、タクシーがユザナホテルに入っていくので???となっている。「そうだよ、ワシが泊まるんじゃ。貧乏なバックパッカー君よ」ってアホな事を考えながら降りる。ホンマ、ワシはアホやね。
 さすが中級ホテル、ロビーにも廊下にもエアコンが効いている。荷物もボーイさんが運んで下さる。小銭をチップとして渡す。私はいつもホントに小銭を渡すから、不満そう。ボーイさんが「稼ごうとのど乾かないか?ミネラルウォータなど如何?」と聞いてくる。冷蔵庫のは高いからね。それもそうだと実費を渡す。当然不満そう、プラスで小銭を渡す。不満そうだが買いに行ってくれた。ボーイさん、抜けサク君なのか嫌がらせだったのか、部屋の鍵を置いていかなかった。う〜ん、廊下に掃除のお姉さんがいたので、ゼスチャーゲームで「鍵ちょうだい」と言うと何とか通じた。
 部屋の設備も申し分なし。NHK−BSを見られるテレビ(ただしノイズィー)、バスの豊富なホットシャワー、シャンプー・石鹸のグッズも揃っている。取りあえずお昼寝。
 

最終日(2004/09/20):ミャンマー出国
 
 いよいよ最終日で出国。実は気がかりがある。入国時に税関申請し、その裏には両替履歴記入欄がある。が、銀行での両替などしていないので(所謂ヤミ両替)申請書の履歴欄は真っ白。税関でイチャモンつけられそう。
 ホテルでチェックアウトを済ませ。「インターナショナルエアポート,タクシー プリーズ」って格好良くフロントに言う。「お客様、タクシーが参りました」って感じで呼ばれ外に出る。う〜ん、タクシーね。おんぼろ、ライトバン。2週間の旅で最低のタクシーでした。でも、勉強になった。ドアを開ける機構、窓ガラスを上下させる機構を理解できたからである。そう、ボロボロでドア側の内装がないため、部品がむき出しなのです。
 空港では、パスポートとチケットを見せて中に入れていただく。空港使用料(10ドル)もドル建てで、チャットの再両替は出来ないので、お菓子・ジュースを買ってお金を使う。荷物預けの所で空港使用料を払う。白人達が盛り上がっている、お釣りのドル札が本物かチェックしているようである。見たところ新デザインの5ドル札のようである。私は適当に「それ問題ないよ」と宣う、ごめんね。
 出国審査をしてお終い。う〜ん、税関申請書の確認なんて所はない。免税店が2軒あり。品数はそれほどじゃないけど、まぁ良いのではと、思えるレベル。
飛行機も無事飛び立ちバンコクへ舞い戻る。
 
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