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ソウル 慶熙宮


 慶熙宮(けいききゅう、韓国語:경희궁(キョンヒグン)、「平穏な調和の宮殿」という意味、英語:Gyeonghuigung Palace)は、韓国の首都ソウル特別市鐘路区セムナン路の北西側にある宮殿です。李氏朝鮮王朝が建てた「五大宮殿」の 1つです。
 慶熙宮が建っていたこの場所は、元々は仁祖(第16代王)の父である定遠君(1580年8月2日生~1620年2月2日没、第14代王・宣祖の王子(側室の子))の邸宅があった場所です。建設は光海君(第15代国王、在位:1608年~1623年)の治世中の 1600年代に始まり、1617年に完成しました。宮殿の名称はもともと景徳宮でしたが、定遠君の諡号「恭良」に似た名前になるのを避けるために後に変更されました。朝鮮後期、慶熙宮は王の別宮(当時は離宮と呼ばれていた)として機能し、ソウル(景福宮)の西側に位置していたため「西闕(西の宮殿)」とも呼ばれていました。別宮は通常、王が緊急時の移動先とする宮殿です。
 仁祖から哲宗まで、朝鮮王朝の約 10人の王が慶熙宮に滞在しました。一時期、100棟の建物を含むかなり大きな規模です。王の謁見のために崇政殿と慈政殿があり、睡眠のために龍福殿と会相殿がありました。宮殿には徳寿宮とつながる洪橋と呼ばれるアーチ型の橋もありました。
 慶熙宮の大部分は、19世紀、純祖王の治世中に発生した火災で消失しました。日本軍は朝鮮半島を占領中に宮殿の残骸を解体し、その場所に日本人のための学校を建設しました。旧宮殿の 2つの主要建造物、崇政殿と興化門は解体され、ソウルの他の場所に移されました。再建は、日本軍によって激しく破壊された「五大宮殿」を再建するという韓国政府の取り組みの一環として、1990年代に始まった。
 
ソウル 慶熙宮地図(Map of Gyeonghuigung Palace, Seoul, South Korea)
慶熙宮地図
地図サイズ:580ピクセル X 420ピクセル
 
慶熙宮地図(Map of Gyeonghuigung Palace, Seoul, South Korea)
 
 

 
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