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古代都市コリントス地図


 古代ギリシアにおけるコリントス (Κόρινθος / Korinthos) は、アテナイ(現在のアテネ)やスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)の一つとなっていました。
 ペロポネソス半島からギリシャ本土への接続点「コリントス地峡」に位置する港湾都市(商業都市)として紀元前9世紀にドーリア人によって建設され、紀元前7世紀(僭主キュプセロス、ペリアンドロス父子の時代)に最盛期を迎え商工業都市としておおいに繁栄しました。その後、次第に勢力を増すアテナイに押されつつも、ペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)ではスパルタを中心とするペロポネソス同盟を経済面で支え、アテナイを中心とするデロス同盟を破りました。紀元前146年に共和政ローマ軍によって、包囲陥落されコリントスの街は完全に破壊され、古代ギリシャ時代の都市国家コリントスは終焉しました。
 古代ローマ時代になると、紀元前44年にガイウス・ユリウス・カエサルによって新しいコリントスの街が再建(植民市コロニア・ヤウス・ユリア・コロニエンシス)されました。ローマ帝国支配下でのコリントスは、属州南ギリシア州(またはアカエア州)の州都となり再び繁栄しました。
 その後のコリントスは戦災や地震などの災害による破壊と再建が繰り返され、1858年の大地震でかつてのコリントス市街は完全に破壊されました。地震後に破壊された旧市街(アルヘア・コリントス)に代わり、北東の海よりの場所に新たな市街地が建設され、ネア・コリントス(新コリントス)と呼ばれました。その後も新コリントスは1928年に地震に襲われ、現在の海に面した場所に街が築かれ、今に到っています。
 かつて都市国家コリントスのあった場所は「旧コリントス(Αρχαία Κόρινθος)」「旧コリントス遺跡」などと呼ばれ、古代コリントス考古学博物館を中心とした遺跡公園として整備(遺構の見学が可能)されています。またこの旧コリントスから南南西へ約3kmの場所にある一枚岩の岩山は「アクロコリントス(Ακροκόρινθος、Acrocorinth)」と呼ばれる古代コリントスのアクロポリスです。コリントス地峡を見渡す交通の要衝に位置するこの岩山は、古代ギリシャ時代の後も近代に到るまで南ギリシャ防衛の重要拠点として城塞が築かれ、ギリシャにおける重要な中世城塞遺跡のひとつに数えられています。
 
ギリシャにおける古代都市コリントスの位置が判る地図
古代都市コリントス地図
地図サイズ:480ピクセル X 360ピクセル
 
古代都市コリントス地図(Map of Ancient Corinth, Peloponnese, Greece)
 
古代都市コリントスの交通機関と観光名所
 

 
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