スパニッシュ・タウンの観光名所としては、サンティアゴ・デ・ラ・ベガ大聖堂(Cathedral of St. Jago de la Vega)、ロドネイ記念碑(Rodney's Memorial)、カリブ海最初の鉄橋(First Iron Bridge In The Caribbean、コブレ川(Rio Cobre))、工芸技術博物館(People’s Museum of Craft and Technology)、ハミルトン・ロッジ(Hamilton Lodge)、ダコスタ農園&アトラクション(DaCosta Farm and Attraction)、インスウッド蒸留所(Innswood Distillery)、フラット・ブリッジ(Flat Bridge、コブレ川)などがあります。
スパニッシュ・タウンのホテルとしては、エンジェルス オール インクルーシブ ホテル(Angels All Inclusive Hotel)、パーム ヴィラ ホテル(Palm villa Hotel)、ケイマナス ゴルフ&ポロ リゾート(Caymanas Golf and Polo Resort)、ザ ウィリアムス B&B(The Williams Bed and Breakfast)、ケストルームス アット ダニシエズ プレイス(Guestrooms at Danishie's Place)、ジャマイカ ドリーム バケーション ホテル(Jamaica Dream Vacation Hotel)、サブアーバン レスト ホームステイ(Suburban Rest Homestay)、シャンズ クラウド B&B(Shan's Cloud B&B)、ヴィクトリアズ プレイス B&B(Victoria's Place B&B)などがあります。
ジャマイカにおけるスパニッシュ・タウンの位置が判る地図(Map of Spanish Town, Jamaica)
地図サイズ:520ピクセル X 340ピクセル
スパニッシュ・タウン歴史
スペインの入植地である「ビジャ・デ・ラ・ベガ(Villa de la Vega)」は、1534年に同植民地の首都として建設されました。後に、この町は「サンティアゴ・デ・ラ・ベガ(Santiago de la Vega)」や「セント・ジャゴ・デ・ラ・ベガ(St. Jago de la Vega)」とも呼ばれるようになりました。この地域にはそれ以前から約 1000年にわたり先住民のタイノ族が居住していましましたが、ここが島南部における最初のヨーロッパ人の居住地となりました。
1655年にイギリスがジャマイカを征服すると、彼らはこの町のスペイン起源にちなんで、入植地を「スパニッシュ・タウン(Spanish Town)」と改称しました。征服の過程で町は甚大な被害を受けたため、イギリス統治の初期にはポート・ロイヤルが多くの行政機能を担い、非公式な首都として機能していました。1692年にポート・ロイヤルが地震で壊滅的な被害を受けた頃には、スパニッシュ・タウンは再建され、再び首都として機能していました。スパニッシュ・タウンは、植民地の拠点がキングストンに移される1872年まで首都であり続けました。
キングストンは、1692年の地震の後に建設されました。1755年頃までには、ロビイスト(有力な利益団体)による激しい対立から、スパニッシュ・タウンが首都として適格であり続けるかどうかについて議論が活発化しました。1836年、ライオネル・スミス総督は「首都は荒廃しており、商業、製造、農業のいずれの事業も稼働していない」と指摘しました。さらに事態を悪化させたのは、1865年のモラント・ベイの反乱後の出来事です。ジョン・ピーター・グラント卿は、1872年に首都をキングストンへ移転するよう命じました。キングストンはより大きな港町であり、島の首都として自然な場所であると見なされるようになっていたのです。政府の拠点が移転した後、スパニッシュ・タウンはその経済的・文化的な活力を大きく失いました。