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ネパールで避暑

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前日:ラクソウル初日:ネパール入国2日目:カトマンドゥ3日目:カトマンドゥ4日目:カトマンドゥ
5日目:カトマンドゥ6日目:ポカラ7日目:ポカラ8日目:ルンビニ最終日:ネパール出国
 

前日(2004/07/15):ラクソウル
 
 7月1日にインドに入国(デリーIN)し、2週間。タージマハール、カジュラホ、バラナシ、ブッダガヤと見物。てくてく歩き回った。そろそろ、モンスーン時期なのだが雨が降らずやたら暑い。くたびれてきた。と言うことで、ネパールに行くことにした。目的は、避暑と仏教四大聖地ルンビニ、ついでにカトマンズに行ってみる。かなりラフな計画である。ネパールのガイドブックは持っていないので、インターネットで調べてみる。便利になったものです。
 
 列車でラクソウルまで行こうと駅に行って予約しようとしたが、何故か列車はないらしい。時刻表にはもちろん路線もあるし列車もあるようだが、窓口では相手にされなかった。しょうがないのでホテルを取って駅前をぶらぶらしていたら、例によってインド人が寄ってくる。「ラクソウルまで行きたい」と言うと、路地裏の露天屋?みたいな机と電話一個だけのお店に連れ込んでバスの予約をしてくれる。150ルピー払った。明日の朝8時に「ここへ来い」と言われる。不安である。翌朝行くと、一応人は居た。今度は「ついてこい」と言われ、バスのはずなんだけど、駅に入っていく???と思っていると、駅の裏側まで行く。今度はリキシャに乗る。大丈夫か???とそれなりに不安になる。と、暫く乗っているとバススタンドへ到着。そうだったのね。親切にも連れてきてくれたんだ、と感動していると「40ルピー払え」やっぱりインドね、タダはあり得ない。
 
 バスは「デラックスバス」と聞いていたが、ガバメントバスほどひどくはないが普通のオンボロバス。ラクソウルは遠かった。ネパール国境に近づくにしたがって洪水っぽくなってバスも進まなくなった。ラクソウルには薄暗くなって到着。印象は、ゴミゴミした街。ホテルは自力で探そうとしたが見つからず。寄ってきた少年に連れていって貰う。サイクルリキシャワーラーにも捕まって、翌朝のネパールボーダー越えを予約。ガイドブックを持たないので、適当に妥協している私。
 

初日(2004/07/16):ネパール入国(ビールガンジー)
 
 カトマンドゥ行きのバスが8時発とのことで、ホテルを7時に出る。昨日のサイクルリキシャワーラーがホテルの前で待っていてくれた。ネパール側のビールガンジーまで20ルピーと約束した。暫く走って立体交差の道の途中で停まる。???と思っていると階段があって「ここから降りろ」と言われる。見ると小さな事務所みたいで白人が立っている。看板は無いが、きっとイミグレである。ワシ、一人だったらイミグレが判らずネパールにそのままは行っていたかもしれない。係官はまだ居ない。白人とお話(彼はバンガロールから来たみたいね)をして、ちょっとしてから、偉そうな係官が来てまず白人の手続きを始めた。揉めている。なんだかビザが切れていて、特別許可証みたいなレターがあるんだけど、戻ってくるときの再入国を認める/認めないで言い合っている。インド役人「わしゃ、そんなレター認めない。」白人「ここに許可するって、書いてあるだろ!」とケンケンガクガク。う〜ん、人のトラブルは楽しい。結局、レターのコピーを提出する事で片は付いたようである。もちろん、ここにコピー機なんてのは無く、何処かでコピーをするのだけど、今度はコピー代の交渉が始まった。係官が適当に値段を言ったが、白人値切ってる。流石である。やっとワシの番が回ってきた、特に問題はないので、サクサクと終了。
 サイクルリキシャに戻り、いざネパールへ。リキシャワーラーが何か言っている「ビールガンジーまで行くなら・・・何とか・・・ルピー」。ワシはネパールへの期待と、朝でボッーとしているので話を聞かずに「ふんふん」と生返事。サイクルリキシャは、あっという間にネパール側イミグレに到着。小さな川があったので、あれが国境だったのでしょう。インド人・ネパール人はフリーボーダーのようである。
 
 ネパールビザは、国境で取れるのでここのイミグレで申請。「ビザちょうだい」って言うと書類をくれた。う、ボールペンが無い。そう、インド係官に貸したままだった、残念、インドでは珍しい3色ボールペンだったからなぁ〜。「ビザ代は30ドルで良いよね」って言うと「もっと頂戴」って言われた。。。「だ〜め、30ドルでしょ」って言い返すとニヤニヤして30ドル受け取ってくれた。
 
 イミグレを出て町中に入り、ホテルのような所へ着き奥の事務所へ通される。ここでバスチケットを買う。カトマンドゥまで225ルピー(インド)、なんか高いような気がした。ゴネたが、以前販売したチケットのカーボンコピーを見せられ同額だったのでしょうがなく納得。きっとカーボンコピーのそれはネパールルピーに違いない。リキシャワーラーにリキシャ代を払う時にトラブル発生。約束の20ルピーを払うと「あと100ルピー払え」と言いやがる。良く聞いてみると「インド側に戻るとき国境で100ルピー払わないといけない」らしい。さっきインドのイミグレを出てから、ゴニョゴニョ言っていたのはこのことだったのである、失敗。とは言うもののワシは払う気がないし、そんな話は信じていないのである。先程の白人が入ってきた、今度は彼が楽しむ番である。事務所の連中も「そうだよ、払ってやりな」って空気。仕方ないので、値切り交渉をして、+50ルピーとなった。
 
 バスは、やや遅れて8時半出発しビールガンジー市内で客を拾いまくって実質9時半出発。カトマンドゥまで10時間とのこと。徐々に高度を上げていく(飛行機みたいな表現ね)。川沿いに山道。ちょっと絶景。谷底に落ちると、サヨウナラ的道路が続く。上からは、落石注意。雨期の影響か道路も所々イッチャッテいる。凸凹だらけ。お尻が痛くなってきた。おまけに座席シートが死んでいる。妙に飛び跳ねると思ったら、シートが外れている。この状態で10時間は苦痛。カトマンドゥまでは、3回ほど検問があった。外人は対象外でバスで待機。ネパール人のみ外へ出て身分証チェック。そう言えば、ネパールって治安悪いんだっけ、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の反政府活動が盛んなのよね。これ程とは。。。
 10時間は、スムーズに行って らしい。崩れそうな一車線しかない道で、対向車があったり、土砂崩れがあったり、検問まであれば、どうなるか???結局カトマンズの手前で10時間経過。さらに3時間の大渋滞。殆どの乗客は荷物を担いで歩き出した。何となく判る、渋滞の解消するところまで歩いて、その辺でバスに乗り換えるのである。でも、ワシはバスに乗ったまま。事故渋滞だろうか?3時間の大渋滞の行き着いたところは、検問所。どうしようもない、立腹。カトマンドゥ盆地に入ってからは、バス疾走。首都らしい景色は見あたらない。車窓さんが「どこまで行くの」。ワシ「カトマンズ、タメル」。よく判らないところで降ろされた。タクシ運ちゃんが寄ってくる。直感で「ぼられそう」。まぁ、23時にもなって、フラフラの日本人がバスから降りてくればカモねぎ。タメル地区への移動は諦め、ホテルの客引きに着いていく。 ホテルで晩飯(インスタントラーメン)を出してくれる。もちろん別料金。
 

2日目(2004/07/17):カトマンズ(ダルバール広場)
 
 朝が来た。取りあえずホテルの周りを探索。どう見ても町中ではない。多分、カトマンズの外れ当たりなんだろうと思う。ホテルをチェックアウトし、タクシーを拾う。セダンじゃなくて、形は軽自動車である。行き先はタメル地区。バックパッカーのメッカらしい。運ちゃんにホテル名を聞かれるが、ガイドブックを持っていないので答えられない。それらしい通りで降ろして貰う。運ちゃんは、客引きに変身するがワシは無視。サヨウナラ。
 まだ両替をしておらず、インドルピーで払い続けているので多少ぼられているような感がある。そろそろ両替。バックパッカーのメッカというだけに両替屋も多い。100ドルTCが7350ネパールルピーになった。レシートに「ホテル名も書け」と言われるが、まだホテルは決まっていない。インドだったらウソでも「タージマハールホテル」って書くのだが、ネパールじゃ無理だ。ガイドブックが欲しいところである。何とか許してもらい、現金を貰えた。
 ホテルを探すため、タメル地区を彷徨く。それなりに広いエリアでホテルも多数。流石にトレッキングの本場ネパール。登山用品店もたくさんあった。品揃えも多い方である。トレッキング専門の旅行会社もあるし中には日本人をメインターゲットにした所も数軒ある。とハイキング好きの私としては感心して見物したが、重いザックを担いで見てまわるのは疲れた、それと客引きから見ると今の私はカモネギ。そんなこんなで、客引きに捕まることにして、小汚いUnivarsalGHへチェックイン。シャワー+トイレ+TVで170ルピー。インドと較べても安い。
 
 ホテルのフロントで観光ポイントを聞く。なんだか、トレッキングを斡旋したいようだが、今のところカトマンズ市内だけで充分。地図を見せて貰い「これちょうだい」と言ってみたが断られた。脳味噌の記憶容量が少ないので覚えるのが一苦労。Durbar Square(ダルバール広場)しか頭に入らなかった。南に歩いて、大きな通りで右折(西)して突き当たり。これで行けるのか?って感じであるが、Walkerのワシは大丈夫。多分、倍の距離を歩いたが何とか行けました。ダルバール広場は、歴史的建造物保存地区。更に正確に言うと、旧王宮とその周辺寺院群、でしょうか。ダルバール広場に入る手前で、係員に呼び止められる。200ルピーですと。ネパール人は無料ね、外人が通過するのを見張ってるみたいです。そもそも、入口ゲートなんて無い。
 
 道を歩いていると、行き着いた先がダルバール広場。シヴァ寺院が印象的、階段状にせり上がった土台の上に3重の塔、デカイです。入れなかったけど、タレジュ寺院も建築美。旧王宮(ハヌマン・ドカ)は、ダルバール広場と別料金で250ルピー。別料金で高めなのでやめようかとも思ったが、外から見ると立派な塔が見えるし「おいでおいで」と呼んでいるような気がする。入ってみた。正解、よいよい。バサンタプル・ダルバール(Basantapur Darbar)が最高でしたね。9階建ての塔(外見え4重の塔)からの展望はGood。狭い階段を登るのは、松本城を思い出した。他にも博物館がありました。「我らの尊敬する王様」的な展示内容です。
 

3日目(2004/07/18):カトマンズ(スワヤンブナート)
 
 カトマンズと言えば「スワヤンブナート(Swayambhunath)」。目玉のパゴタである。カトマンズの西の端っこの小山の上に建っている。タメルから歩く、遠い。ヴィシュヌマティ川を越えた当たりから見えてきたスワヤンブナートはちょっと神々しい?小山の麓は小さな門前町。頂上までは、急階段、アゴが出る出る。猿も出る。ここでも外人だけ拝観料50ルピー。頂上についてスワヤンブナートを見たときはちょっと感動。境内は思ったより広い。仏教徒として、正しく、時計回りでパゴタを見物。これで少しだけワシも涅槃に近づいた。カトマンズ市内を一望できるのでいい場所である。隣の小山にもお寺がある。スワヤンブナートの付属僧坊かもしれない。行ってみた。ここからもカトマンズ市内を一望出来て、南側展望が良かった。
 

4日目(2004/07/19):カトマンズ
 

 
5日目(2004/07/20):カトマンズ
 

 
6日目(2004/07/21):ポカラ
 

 
7日目(2004/07/22):ポカラ
 

 
8日目(2004/07/23):ルンビニ
 

 
最終日(2004/09/24):ネパール出国
 

 

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