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トラブゾン No1 !! 1995


 ヴァンからエルズルム。エルズルムは、クイックリーにワンポイント観光。それでも絨毯屋には行ってしまう。 一挙にトラブゾンまでの強行軍。ただし、夜の24:00到着。深夜でも街は明るく、幸いホテルも難なくKeep出来た。 本日5/11。
 
 5/12は、ロシアン・バザールとアヤ・ソフィア。洗濯物が溜っているので朝一番のお仕事は洗濯である。 幸いなことにシャワーからぬるま湯がすぐ出た。流石、25万TL(500円)のホテル。 ヴァンのホテルは35万TL(700円)でぬるま湯10分だったもんね。ふん。
 
 ホテルの受け付けでロシアン・バザールの場所を聞く。正直なところ、聞いたのではなく「ロシアン・バザール」 と叫んだだけなのですが。親切なことにバザールまで連れてってくれました。Thanks! ちなみにバザールだというのに 入場料5000TL徴収。バザールは、ロシアンと言うよりもインターナショナルでした。
 Made in トルコ/ロシア/インド/東南アジア/ジャパン(怪しい物多し)他。品物は何でもござれ。 時計・おもちゃ・靴下・パンティ・ドリルの歯・ソ連の勲章・紙屑鉄屑になったソ連やトルコのお金・お土産品・双眼鏡・ 毒ガスマスク・ゴムボート・宝石・靴・安物カーペット etcetc 。私はトルコの鉄屑貨幣と寄せ木細工の箱を購入。 トルコの貨幣を全種類集めたぜ!
 

アヤ・ソフィア写真  アヤ・ソフィア(左写真:イスタンブールほどはないが、良いところ)は街中から約3kmの所にある。旧市街をプラプラ歩いていけばちょうど良い散歩。 立派なフレスコ画が多数保存状態も良く展示してありました。 このアヤ・ソフィアはイスタンブールの同名さんの分家筋。 ビザンチン(東ローマ)帝国が滅亡し、イスタンブールから逃げてきた末裔が築いたのがトラブゾン帝国。 その重要寺院だから分家筋となります。
 
 アヤ・ソフィアを見た後は、黒海を見て、海岸線を歩き街へ戻る。海岸まで行くと青年3人組みが、私を呼んでいる。 「大丈夫かな」と思いつつ行ってみた。焼き肉をご馳走になる。でも、今日は珍しく昼飯を食べているのでおなか一杯なのよね。 その後、彼らに連れ回わされる。まず、ビリヤード屋。みんな凄く上手いのね。一緒にやろうと誘われたが、断る。 下手だし、お金目当てだと後が大変。次は、その辺の駄菓子屋みたいな所。日本人(私)を連れてきて、彼らの友達に自慢がてらの紹介している様子。 次は、先程の向かいのお店。またまた紹介が始まる。今度は人垣が出来る程の大盛況。ヒマワリの種・豆等色々食べさせられる。 おなか一杯なんだけどね。私は見せ物お猿です、キィ。
 
 次は、学校のグランドでボール蹴り。Foot Ball(サッカー)が盛んなお国なので皆さん上手。私は勿論下手。 彼らの話によると、「トラブゾンのサッカーチームはトルコでも有数で東京にも遠征に行ったことがある。」そうです。 トラブゾンチームの歌があり、一人が歌い出すとみんなで合唱。
 
”トラブゾン、トラブゾ〜ン。オ〜レ、オ〜レ、オ〜レ、オ〜レ。
 トラブゾン イズ チャンピオン!ナンバー1!!”
 
ってな具合です。ボール蹴りの後はバレーボール。これならワシにも出来る。
 
 そろそろ、彼らの本両発揮?です。コインの裏表を当てる賭けをしようとなりました。ふふぅ、やはりそうなのね。 乗ってやろうじゃないの、楽しませて貰ったし、ヒマだしね。
 裏表と言っても、その言葉を知らないし、どちらが表かも私にゃ判らない。 でもご安心、トルコの貨幣は必ずアタチュルクの肖像が入っているのです。
 
 知らない人のために:アタチュルクとは?

 トルコ建国の父。もちろん独立の父。イスラム圏では唯一(多分)の政教分離を実現した人。 アラビア文字を禁止し、判り易いアルファベット風文字を採用した人。 現在でもトルコ人の尊敬を一身に集めています。故人です。 写真を見る限りでは、知的で渋いおじさんです。アンカラのアタチュルク廟は一見の価値あり。
 
 で、本題の賭けの続き。しょうが無いので、アタチュルクの面に賭け続けました。 途中、「君たち偉大なアタチュルクを賭けに使っていいの?」なんて聞きながら。 一時はコインが底をつきかけ、札を出せなんて言われましたが、 最終的には2万TL(40円)程巻き上げてやりました。ポケットジャラジャラ。えっへん。 日曜日12:00からこのグランドでディスコがあるからまた来いとさんざん誘われて、 お別れしました。みんな良い人でよかった。一歩間違ってたらどうなっていたことか。大した事にはならないけど。 もちろん日曜日のディスコには行っていません。そこまでヒマじゃないのです。
 
 5/13は、スメーラ寺院へ。朝の10:00にミニバスがあるとバイブルに書いてあったが実際には無かった。 きっと夏場だけなのです。バイブルにはよくあること。バイブルを信じて行くと、「バスターミナル自体が無い」 って事もよくあるのよ、注意。そうなると日程メチャクチャ。長距離のときは事前に見に行く癖が付きました。
 
ミニバスがないのでタクシーしかありません。タクシーは100万TL(2000円)。まぁ仕方なし。下手に値切って、 ドーバヤジットの二の舞いはしたくない。これがまさしく「清水の舞台から飛び降りる」です。 運よく、白人3人が来て4人でシェア。25万TLで済みました。 スメーラまでの道筋はなかなかよろしくトルコには珍しく緑の景観です。1カ月の緑は眩しかった。
 

スメーラ僧院写真 スメーラ僧院(左写真:断崖にへばりつく)は、トラブゾンから約50kmの山中にあります。国立公園らしくそこそこ風光明美。 断崖絶壁の岩場にへばり付くように廃墟のキリスト教僧院があります。下を流れる川から300m位上にあるのです。 川の所から僧院までは、つづら折りになった急勾配の道を30分登り続けます。かなりきついです。 降りるときも同じ道を返ります。修業の場はきついです。僧院からの景色は最高です。 個人的に高い所が好きなだけかも知れません。 フレスコ画がたくさん残っています。でも顔が削られたりしています。イスラムに席巻された国なので仕方ないです。 僧院には、ハマム・暖炉付きの部屋・泉などがありました。泉にはコインを投げてもいいのです。万国共通ですな。 割り増しジュースやお菓子を売っているので休憩も出来ます。
 
おやじ3人組みに捕まり、彼らの写真を撮らされました。下に降りるとチャイハネに写真おやじ達がいて、 チャイを奢ってくれました。「アドレス・アドレス」となり、先程の写真を送ってくれとなりました。 何とも高いチャイ代になりました。きっと、フイルム代+現像料+プリント代+送料を教えると腰を抜かすんだろうな。 それにしても、いい歳したおやじまでが写真撮ってくれなんて。

 

 
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