武烈王(朝鮮語ハングル表記:무열왕、英語:King Muyeol、太祖武列王(King Taejong Muyeol)とも、603年生~661年没)は、本名を金春秋といい、古代朝鮮三国の一つである新羅の第29代国王(在位:654年~661年)です。彼は朝鮮三国統一を主導したとされています。
武烈王は、骨品制の最上位の位である「聖骨(ソンゴル(seonggol)、父母共に王族に属する者)」として生まれました。彼の父である金龍春(キム・ヨンス、Kim Yongsu、朝鮮語ハングル表記:김용수、漢字:金龍樹)は、新羅第25代国王・真智王(Jinji of Silla、在位:576年~579年)の息子です。真智王が廃位されると、金龍春を含む彼の血統の王族は皆、国を統治する資格がないとされました。しかし、金龍春は数少ない聖骨の一人であり、聖骨の王女(真平王(Jinpyeong of Silla、新羅の第26代の王、在位:579年~632年)の娘である天明公主)と結婚したため、彼らの子である金春秋が聖骨となり、王位継承権を得ました。金龍春は王族の有力者でしたが、王の弟である金白班(キム・ペクバン)に権力を奪われました。彼は生き残るため、仙骨のすぐ下の位である真骨(チンゴル、王位継承権は無いが王族の家系に属する者の最上位)になることを受け入れました。これにより、彼と彼の息子である金春秋は王になる権利を失いました。叔母である善徳女王(Queen Seondeok of Silla、生年不詳~647年2月20日没、新羅の第27代の王(新羅初の女王)、在位:632年~647年)の死後、最後の仙骨である新羅の真徳が王位を継ぎ、真徳女王(Jindeok of Silla、生年不詳~ 654年没、新羅の第28代の王、在位:647年~654年)となりました。彼女の死により全ての仙骨が亡くなったため、真骨の位を持つ王族の血を引く者が王位を継承する必要がありました。当時新羅の最高位である上大等に就いていた閼川(アルチョン、Kim Alch'ŏn)は、当初の王位継承者最有力候補でした。彼の父親は仙骨であり、息子が仙骨になって王位争いで苦しむことがないように、真骨の女性と結婚しました。しかし、金庾信(Kim Yu-sin、595年生~673年没、新羅の将軍、新羅による朝鮮半島統一の最大の功労者)は金春秋を支持し、閼川は最終的に王位継承を拒否し、春秋の即位を支持しました。その結果、金春秋は武烈王として王位を継承しました。