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フィラエ島のイシス神殿地図


 フィラエ島のイシス神殿(Temple of Isis (Philae Temple))は、エジプト南東部ヌビア地方アスワン県の県都アスワンを流れるナイル川のフィラエ島にある神殿で、「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae)」として世界遺産(文化遺産)に登録(1979年)されています。アスワン・ハイ・ダムの完成によりナセル湖に水没することになったフィラエ島にあったイシス神殿をはじめとした神殿群が、その隣にあったアギルキア島へ移転され、1980年に移転工事が完了しました。
 
 イシス神(Isis)は古代エジプト宗教における主要な女神であり、その崇拝はグレコ・ローマ世界全体に広まりました。イシスはエジプト古王国時代(紀元前 2686年頃~紀元前 2181年頃)に初めて言及され、オシリス神話の主要人物の一人として登場します。神話の中でイシスは、殺害された弟であり夫である神聖な王オシリス(Osiris)を復活させ、後継者ホルス(Horus)を産んで守るという内容です。オシリスを助けたように、死者が来世に入るのを助けると信じられ、ホルスに例えられるファラオの神聖な母とされました。イシスの母性的な助けは、一般の人々を癒すための呪文で祈願されました。もともと、彼女は王室の儀式や神殿の儀式で限られた役割を果たしていましましたが、葬儀の慣習や魔術書ではより重要な役割を果たしました。美術では、彼女は通常、頭に王座のような象形文字をかぶった人間の女性として描かれています。新王国時代(紀元前 1550年頃~紀元前 1070年頃)には、イシスはかつての卓越した女神ハトホルの特徴を継承し、ハトホルの頭飾り、すなわち牛の角の間に太陽の円盤を冠した姿で描かれました。
 紀元前1千年紀には、オシリスとイシスが最も広く崇拝されるエジプトの神々となり、イシスは他の多くの女神の特徴を吸収しました。エジプトとその南隣国ヌビアの支配者たちは、主にイシスに捧げられた神殿を建て、フィラエのイシス神殿はエジプト人とヌビア人双方にとって宗教的中心地です。イシスの魔力は他のどの神よりも強力であるとされ、自然界を支配し、運命そのものを操る力を持つとされていました。
 ヘレニズム時代(紀元前 323~30年)、エジプトがギリシャ人によって支配され、定住した時代、イシスは新しい神セラピスと共に、ギリシャ人とエジプト人によって崇拝されました。彼らの崇拝は地中海世界へと広まりました。イシスのギリシャ人信者は、結婚の発明や海上船舶の守護など、ギリシャの神々から受け継いだ特徴をイシスに帰しました。紀元前1世紀にヘレニズム文化がローマに吸収されると、イシス信仰はローマ宗教の一部となりました。イシスの信者はローマ帝国の人口のごく一部でしたが、帝国領土全域に存在しました。イシスの信奉者たちは、ナヴィギウム・イシディスのような独特の祭典や、他のギリシャ・ローマ秘儀に似た入信儀式を発展させました。信者の中には、イシスは世界のあらゆる女性の神聖な力を包含していると主張する者もいました。
 イシス崇拝は、西暦 4世紀から 6世紀にかけてのキリスト教の台頭によって終焉を迎えました。イシス崇拝は、マリア崇拝といったキリスト教の信仰や慣習に影響を与えた可能性がありますが、その影響を裏付ける証拠は曖昧で、しばしば議論の的となっています。イシスは西洋文化、特に秘教や現代の異教において、自然の擬人化や神性の女性的側面として登場し続けています。
 
フィラエ島のイシス神殿 イメージ
フィラエ島のイシス神殿
 
フィラエ島のイシス神殿地図(Map of Temple of Isis (Philae Temple), Philae Island, Aswan, Aswan Governorate, Egypt)
 
フィラエ島のイシス神殿の見所
  1. 第1塔門 / First Pylon
  2. 東中庭 / East Courtyard
  3. ローマ時代の礼拝所 / Roman Chapel
  4. 誕生殿 / Mamissi
  5. 第2塔門 / Second Pylon
  6. 列柱室 / Hypostyle Hall
  7. 至聖所 / Isis Sanctuary
 

 
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