旅行のとも、ZenTech
旅行のとも、ZenTech > 海外旅行 地図 > 西アジア地図 > トルコ地図 > トルコ世界遺産地図

アルスランテペの遺丘地図


 アルスランテペの遺丘(メリド、トルコ語:Arslantepe Mound)は、トルコ共和国南東部の東アナトリア地方マラティヤ県マラティヤ市近郊にある世界遺産(文化遺産)です。
 アルスランテペの遺丘は、ヒッタイト時代の都市「メリド(Melid)」の推定地とされる遺跡です。最も古い部分は青銅器時代の始まる前のカルコリシック時代後期(銅器時代とも、石器時代から青銅器時代への移行期)と考えられ、壁面が装飾された大きな建築物の遺構が確認されています。メリドの北東24㎞の場所にあるデギルメンテペ(Degirmentepe)では最初期の銅の精錬所跡が発掘されています。青銅器時代早期になるとウルク文化の影響を受けた神殿や宮殿が造られるようになりました。後期青銅器時代では、イスワ王国におけるこの地域の行政中心地になり、西からのヒッタイトの脅威から街を防衛するため街はかなり強化されました。この時期はハリアン、ミタンニ、ヒッタイトの影響を受けました。紀元前1350年頃、ヒッティテスのシュッピルリウマ1世(在位:紀元前 1,355年頃~前 1,320年頃)がミタンニのトゥシュラッタ王との戦いでメリッドを征服しました。 当時のメリッドはヒッティテスとミタンニの間にあるイスワの地方の首都でした。鉄器時代になると、ヒッタイト帝国(ハットゥシャ王国)が滅び、紀元前12世紀から7世紀にかけて、このメリドの都市はカンマヌのルウィア・ネオヒッタイト州の中心となりました。宮殿が建てられ、ライオンと支配者の記念碑的な石の彫刻が造られました。アッシリアの王ティグラス・ピレサー1世(紀元前1115年から1077年)の勢力がこの地方の覇権を握り、メリッド王国はアッシリアの支配を受けることになりました。メリッドは、アッシリア時代も繁栄が続きましたが、紀元前712年にアッシリアの王サルゴン2世(紀元前722年~前705年)がメリッドを略奪・破壊しました。同時代にキンメリア人(Cimmerians、南ウクライナを起源とする遊牧騎馬民族、スキタイの西進によりキンメリア人の南下)とスキタイ(Scythians)がアナトリアに侵入し、都市は衰退しました。
 
 マラティヤ(アルスランテペの遺丘から南西へ 4kmの都市)のホテルとしては、モーベンピック マラティヤ ホテル、アネモン マラティヤ ホテル、ラマダ プラザ バイ ウィンダム マラティヤ アルティン カイイシ、マラティヤ ホテル ネヴァ、ハネム ホテル、グランド アッコザ ホテル、ディヴァリン ホテル、キルクヴァル ホテル、シティ オブ ケント ホテル、ホテル メンタリタ、ピルランタ ホテル、ブユク ホテル、マラティヤ オグレトメネヴィ、マラティヤ パレス ホテル、グランド シナン ホテル、マラトヤ イエニ ホテル、グランド アクサク ホテル、アクサク ホテル、アナトリア ブティック ホテル、ベズギンラー ホテルなどがあります。
 
トルコにおけるアルスランテペの遺丘の位置が判る地図
アルスランテペの遺丘地図
地図サイズ:520ピクセル X 350ピクセル
 
 アルスランテペの遺丘への交通アクセスは、 スィヴァスからアルスランテペの遺丘まで車で 3時間5分(南東へ道なりで 245km)、マラティヤから車で 10分(北東へ道なりで 5.8km)です。
 
アルスランテペの遺丘地図(Map of Aslantepe Ruins, Turkey)
 

 
ページ先頭(トルコ:アルスランテペの遺丘地図)へもどる。
旅行のとも、ZenTech トップページへ移動する。   Copyright © 1997-2024 ZenTech. All Rights Reserved.