介護

ギランバレー症候群


 私の母が、2009年12月にギランバレー症候群(Guillain-Barré syndrome)を発症しました。発病から4ヶ月経過し、とりあえず退院となったので、この期間の経緯を記録として残すべくこのページを作成しました。

前書き

 私の母は、発病時68歳、当然ながら母なので女性です。年齢的には高齢者の入口?に差し掛かった年代ですが基本的に大きな病気を患わず、一人で旅行にも行く元気一杯な人間で、日々家事をこなしていました。

発病

 1日目:朝起きて立ち上がろうとしたときに膝に違和感があり、多少ふらつき階段の下りる際にふらつきました。それでも階段の上り下りが出来、台所仕事も出来、多少疲れが溜まっているのかな?って感じだったそうです。
 2日目:一晩寝れば体調が戻るかと思ったそうですが、朝起きると昨日より痺れが広がり、両方の足先から膝および両手から肘辺りまで痺れていました。この段階では、何とか一人で着替えることも出来、這って歩くことも出来ました。さすがに普段元気な母も医者に行く気になりました。一人では自由に動くことが出来ないので、一部屋離れた場所にいる私に医者へ連れて行ってくれと・・・。体調を崩しているのは昨日から聞いていたのですが、これは大変と慌ててかかりつけのお医者さんへ連れて行きました。ちょうど新型インフルエンザの大流行で待合室は大混雑。倒れこむように医者の玄関へ入ったので車椅子に乗せていただき即診察室へ入りました。暫く待ち、なじみのお医者さんに見ていただき「筋肉のコリによる痺れでしょう」との診断で、点滴をしていただきました。その時渡された薬は「筋肉のコリをほぐす薬」でした・・・。「両手足が痺れ、立てなくなるほどの筋肉のコリ」など明らかな誤診なのですが、10万人に一人か二人の発症であるギランバレー症候群など私たちの住む地方都市では非常に稀な症例で開業医の先生が見極めるのは殆ど不可能な話ですね。「点滴で楽になると思います」とのことだったので、家に帰り寝ることに、昼は少しのご飯を食べられたのですが、夕方は食べられず、2階で寝起きしていたのですが動けなくなってきたので、急遽一階へ布団を運びました。後になって思えばこの段階で大きな病院へ連れて行くべきでしたが本人とも相談し「とりあえず一晩様子を見よう」としました。
 3日目:呑気な私も眠れませんでした。朝、母に状態を聞くと「脚の付け根と肩まで痺れ全く力が入らない」とのことです。これは大変、明らかに体の中心へ痺れが進んでおりこのまま進行すれば危険と判断し、地域の拠点病院へ電話を掛け、急患で連れていく旨連絡を入れました。あいにく日曜日で内科の先生による診察は朝8時半過ぎからとのことでした。9時前に病院へ入り救急病棟の待合室へ、昨日の町医者と同じくこの病院も新型インフルエンザの大流行でかなりの患者さんでした。30分くらい待ち診察室へ入りました。その時に看護士さんが「今日は良いお医者さんですよ、良かったですね」と意味深なお言葉、う〜ん(逆の時には)チョット怖い話ではあります。この病院は初めての受診なので、過去の病歴から細かな問診が始まり「インフルエンザの予防接種」「下痢」「喉のイガイガ」「発熱」など(後で判った事ですがギランバレー症候群の前駆症状)のことを聞かれました。診断のためCTスキャン・髄液検査・血液検査などの各種検査が始まりました。日曜日なのでかなり人手不足の上に装置の立ち上げも必要だたようです。
 1時間半ほどで検査が終わり「点滴室」と書かれた部屋へ寝かされ、暫く待ちました。この間に先生は他の急患患者さんの対応をしたり、母の病状を文献などで調べておられたようです。お医者さんからは「ギランバレー症候群」が疑わしいとの診断でした。と病名を告げられても素人の私には???で先生が「大原麗子さんが罹った病気」と言われなんか聞いたことがある病名くらいの感覚でした。ただし検査では陽性と考えられる結果は出ていないが症状から見ての判断とのことでした。なんでも「細菌に感染し、体内に出来た抗体が誤っての末梢神経を攻撃し、神経をダメにする」とのことでした。実際の説明は難しい専門用語でしたが、素人理解ではこの様な説明だった思います。そして衝撃的な話が「致死率は2%から5%の病気です」と言われ、ご丁寧にも横になって朦朧としている母にも念押しで「致死率は・・・」と、なんちゅう医者じゃと思いましたね、ホント。
 治療法は、「透析による血漿交換療法」もしくは「点滴による免疫グロブリン大量療法」があると話され、「今日は日曜日なので透析部門が休みで、当病院で対応できるのは点滴による免疫グロブリン大量療法です」とのこと。隣の市にある○△病院ならば透析可能です。確かに○△病院は県内第二の都市にあるレベルの高い病院ですが、たらい回し的に行くのがためらわれ、私は「入院させていただき、とにかく治療を始めてください」と懇願。

入院 前半:内科病棟

 1日目(発病3日目と同じ日付):午前中に急患へ運び込んで、午後に入院でした。何枚かの書類を渡され署名しました。手元に残っている書類としては「入院診療計画・説明書」「輸血および血漿分画製剤の同意書」「入院看護計画・説明書」「MRI検査における造影剤の投与に関する問診票」があり、ほかに病院へ提出した「入院費用支払いの誓約書」「個人情報開示(非開示)同意書」などがありました。「入院時に用意するものリスト」を渡され、着替えやリストの物を準備するため帰宅し買い物。オムツを買ったのはこれが初めてでした。オムツって「テープ式(寝たきりの人向け)」「パンツ式」の二種類があることも知らず、「パンツ式」を買ってしまい買いなおし・・・。その後もちょっとした手違いで「パンツ式」を買い、今でも2ダースほどのオムツが我が家の押入れに眠っています。尿が漏れベッドを濡らさないようにと「防水シート」も用意したのですがこれも使わずじまいとなりました。
 一週間目:お医者さんから聞いた話とインターネット(難病情報センター|ギラン・バレー症候群 特定疾患情報)で調べた内容からギランバレー症候群は、感染から2週間から4週間で症状のピークが来るらしいです。実際にはギランバレー症候群の発症直後は、自覚できるほどの症状があまり無く、両手両足ほぼ均等に痺れが出てくるのはかなり進行した段階で、自覚症状が出た後は母の症状のようにあっという間に筋肉に力が入らなくなるようです。最悪は、肺の筋肉までもおかされ呼吸困難になります。自覚症状から概ね一週間くらいでピークが来るらしいです。実際に情報の通りで、最初の一週間は完全に寝たきりとなってしまい「虫の息」でした。ほぼ一週間の間「免疫グロブリン大量療法」による点滴が続きました。また完全絶食となったため栄養剤の点滴も同時に行われました。途中発熱があった為、新型インフルエンザを疑われ抗生物質の点滴も行われました。ただし抗生物質は途中でアレルギー反応?が出たために中止。
 週末には「高額療養費の現物給付」の申請を行いました。この制度は平成19年4月1日から始まったもので、入院などでの費用支払いを軽減する制度です。本来は、医療費の3割負担ですが、事前申請により医療費の自己負担限度額が「80,100円+(総医療費−267,000 円)×1%」となります。なおこの数字は、年齢と所得によって異なります。先の数字は、「70歳未満」かつ「所得が一般」の場合の医療費です。因みに母の場合で12月(約半月分)の入院費用は11万円強となりました。
 二週間目:病気の進行がほぼ止まり回復に向かい始めたようです。ただし基本的に寝たきりで、両手両足の痺れや力が入らない状態でした。本人曰く「両手両足にザラザラ感があり、足の裏や背中に鉄板があるように突っ張っている」とのことでした。一応食事(全粥)が出されるようになりましたが、自分ではスプーンを持てないので介助してもらいながらの食事です。週の後半には、病状が安定し始めたので病室が変わりました(スタッフステーションの正面の病室(症状の重い患者用)から奥まった病室へ)。さらに、手のリハビリが始まりました。一応は回復に向かい始めたのですが、母は「もう死ぬんだ・・・」と弱気になり、私は目頭が熱くなりつつ「ギランバレー症候群は最初の一週間がピークらしいから、死ぬならもう逝っているよ」と変な励ましをかけました。看護師さんにも同じような弱音を言ったそうで、その時の看護婦さんは「ものには順番があるのよ、貴方はまだ先ですよ」と仰ったとか。
 三週間目:利き腕の右手に少し力が入るようになりました。左手は依然として力が入りません。ベットの上で何とか座れる状態となり、車椅子に乗る許可も出たので病院内を車椅子で散歩。正月休みとなったのでリハビリは暫しお休みとなりました。「それじゃ」というわけでもないですが軟式のテニスボールを買ってきてニギニギの練習。本人も少し力が戻って嬉しかったのか、独自に足の上げ下げや手のニギニギを頑張ったのですが、チョットやりすぎて疲れが出てしまい、体調を崩しました。ギランバレー症候群は、急激に重症化し、緩やかに回復へ向かう病気ですが、回復期には何回かのリバウンドがあり、リハビリでの頑張りすぎとリバウンドが重なってしんどくなったようです。
 四週から八週間目(1月):ギランバレー症候群は、「徐々に回復に向かい、6ヶ月から12ヶ月で多くの場合ほぼ回復(ただし二割程度の患者は何らかの障害が残る)」と言われています。治療法は、ピーク時に症状を緩和もしくは重症化を抑えるために「血漿交換療法」「免疫グロブリン大量療法」が行われのみで、後は気長にリハビリがあるのみです。母の場合も一週間目に「免疫グロブリン大量療法」の点滴が行われたのみで、以後は基本的にリハビリのみ。投薬は、本人が「夜眠れない」「痺れ」を言うので、「軽い睡眠薬」「痺れ緩和(ビタミン剤らしい)」のみでした。検査は、経過を調べるための「血液検査」「神経検査」などが行われたようです。四週間目の正月明けからは脚のリハビリも始まりました。ゆっくりと回復が進み、左手にも少しずつ力が入り、立つ事が出来るようになったのもこの時期です。退院は「ふらつかずに歩くことが出来るようになってから」とのことで、まだまだ先です。
 完全に安定期に入り内科病棟での治療が済んだ7週間目には、次ぎはリハビリ病棟へとの話をもらいました。ただし、冬場で患者さんが多いので(雪国のためもあり冬は特に患者さんが増えるらしいです)リハビリ病棟の空待ちとなりました。リハビリ病棟へ移る日には、看護師さんたちから「入院された時はどうなるかと心配しましたが、元気になられてよかったですねぇ〜」と声を掛けられました。母と私で「本当に危なかったんだ」と苦笑。

入院 後半:リハビリ病棟

 3ヶ月目(9週から12週目、2月):当然のことながらリハビリ病棟では、病気治療ではなく機能回復が目的となります。平日の昼間は寝巻きではなく私服での生活となりました。内科病棟では下着類の準備、リハビリ病棟では上着の準備など母の部屋を家捜し服を探し出したり新しく買いに行ったりと私は男なのでチョットだけ苦労しました。母には二人の妹がいるので何かと助けていただきました。お見舞いにも度々来ていただき、閑をもてあまし気味の母の気分を紛らわせても戴き感謝でした。リハビリ病棟に来た当初は、5メートルくらい歩くのがやっとでしたが、徐々に歩ける距離が伸びました。ただし、手足の痺れは依然残ったままです。先生からは「気長にやりましょう。ただし6ヶ月過ぎても痺れが残っているようなら、一生の付き合いになるかもしれません」とのことでした。
 症状が安定期に入ったので「介護保険の認定申請(参考:厚生労働省 介護・高齢者福祉)」をされるといいですよ、と病院側から話をもらい市役所へ行きました。申請書を提出し、約一週間後に市の調査員による認定調査(患者への症状ヒアリング)が病院で行われました。申請には併せて「主治医意見書」も必要でした。認定調査は数十の質問項目(約80項目)があり、心身の状態確認が主な内容で、完全に機械的な質問でした。それぞれの項目で「できる、何とかできる、できない」の3つに分けられ、母のように「何とかできるけど痺れいるので制約がある」でも容赦なく「何とかできる」に振り分けられます。途中であまりにも機械的なので私は文句を言いました・・・。まぁ、制度なので仕方が無いのですが。「特記事項には記載しておきます」との返事でしたが、特記事項そのものがほとんど判定に影響しないそうです。要介護ではなく「要支援」になるのではとのことでした。
 退院に向けての自宅の玄関・トイレ・風呂の段差など間取りの質問がありました。そろそろリフォームの検討を始めなければいけません。母は2階で寝起きしていたのですが、足が不自由となったので階段の上り下りが無理なので、一階で暮らすことになります。田舎の築40年の我が家は、バリアフリー化などされておらず、部屋も和室しかありません。一応トイレは洋式です。そんなに広くない家で一階の空き部屋は押入れ付の四畳半だけです。日当たりが悪い部屋で、「穴倉部屋」と呼んでいたような部屋です。当初の計画では「まぁ押入れを潰して、玄関やトイレ・風呂に手すりを付けよう」程度を考えていました。2月下旬には、リフォーム箇所の確認のため、一時外泊(1泊)を行いました。
 4ヶ月目(13週から16週目、3月から4月中旬):途中にリバウンドがあり体調を崩した時もありましたが、少しずつ回復しました。回復の程度は、1月に比べると緩やかになっています。それでも、暖かな季節になってきたこともあるようで、ヨタヨタではありますが、50メートルくらいなら杖で歩けるようになりました。両手両足の痺れについては、掌や指と足の裏に痺れが残っています。最初の頃の背中や胸・腹の鉄板があるような感覚はかなり軽減されてきたようです。
 いよいよリフォームです。まずは業者選び、住んでいる街の業者に頼んでも良かったのですが「大きな業者がいいかな」と考え隣の市にある地元では大手のリフォーム業者に見積もり(予算200万円)を依頼しました。当初の構想では、和室のままで押入れ撤去だけだったのですが「予算的には6畳間のフローリングの洋室に出来る」とのことなので、天井・壁を含めたリフォームとしました。病院から「リフォームが出来るまで入院していてOK」「暖かくなる4月までOK」などと言われたので「ゆっくりとリフォームしましょう」と業者と話していましたが、とある理由が出来て「直ぐ工事に着手」していただきました。大手の業者にして良かったです。
 4月の中旬にはリフォーム工事が終わり、退院前の見極めのために一時外泊として2泊、家に帰りました。台所仕事や入浴・トイレなどどの程度出来るかチェックし、スーパーへの買い物へも行きました。スーパーでウロチョロするとやはり疲れが出るのですが、私が横についていれば、それなりにこなす事が出来ました。
 
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